夜風のような君に恋をした
数学の時間。

日直だからという理不尽な理由で先生に当てられた俺は、しぶしぶ黒板に移動する。

少し考えてから、その余弦定理の応用問題の答えを、黒板にスラスラと書き連ねた。

三十代前半の眼鏡をかけた男の先生は、俺が書いた式を目で確認し、少々オーバーなくらいに大きく頷く。

「うん、正解だ。式も完璧」

おおっ、というどよめきが教室中に湧き起る。

「すごーい、天才!」

「何書いてんのか全然わかんないんだけど」

「お前、それはヤバいって! 俺はちょっとくらいわかるぞ!」

まるで凱旋帰国のような歓声の中、自分の席に戻った俺は、いつものようにすまし顔を浮かべた。

うわべだけの笑いなんて慣れているから、表情筋もスムーズに動いてくれる。

「なあ、市ヶ谷。今度勉強教えてくれよ。俺、今回の数学のところ、全然わからないんだよ」

前の席の男子が、振り返って俺に懇願してくる。少し太っていて、科学部に所属している彼は、クラスの人間にはほとんど話しかけないのに、いつからか俺にだけは話しかけてくるようになった。

「いいよ」

俺はもちろん、快く彼の申し出を受け入れる。

「本当か? 助かるよ」

すると彼は少し照れたように笑った。

< 56 / 232 >

この作品をシェア

pagetop