花笑ふ、消え惑ふ
風呂はその道場からわりと近く、廊下の突き当たりにあった。
周りに誰もいないことを確認し、立て付けの悪い扉をあけて脱衣所に入る。
脱衣所はがらんとしていて人の気配は一切なかった。
なるべく早く済ませようと、いちばん端の目立たないところで着物を脱ぐ。
脱いであらためて気づいたが、流の着ていたものはかなり汚れていたし、ところどころ擦り切れていた。これはもう着れそうにないかもしれない。
総司がさきほど言ったことは案外、的を射ていたのだ。
流はここに来る前、ずっと山の中を彷徨うように逃げていた。
とにかく江戸から離れたかった。離れないといけなかった。
町中を歩いていると一度役人に捕まりかけたことがあって────……
……それ以来、山の中を移動しながら生き長らえていた。
「山猿って言われてもしょうがないよね」
風呂場へと続く扉を開けると、むわりとした蒸気に包みこまれる。
「わぁ、お風呂だ……!」
風呂場全体を覆うような湯気、そして久しぶりの風呂に浮かれてしまっていたんだろう。
いくら流が用心深さに欠けているとはいえ、気づかないわけがなかった。
「……だれぇ?いま稽古中じゃないの~?」
────先にひとりの男が入っていたなんて。