夜が明けぬなら、いっそ。
違和感なく通ってくれた挨拶。
景秀にはそのままで良いと言われていたが、これくらいは私だって知っていた。
あれから色々あった末、私がこうして江戸城に女の身なりで来ているということは頼まれた役目をこなそうとしている証。
ちなみにあのときの接吻は自分の中では無効にしている。
「家茂公も今日という日を心待ちにしておられるようで…!相手側の姫様もそろそろ到着する頃かと…」
「行こう、小雪」
「……うん」
……緊張してきた。
こんなこと、初めてだ。
そうだ初めてだから緊張するのは当たり前だ。
広すぎる城に上がって、“家茂公”なんて言葉を聞いただけで全ては本当なんだと確信されてしまった。
家定公とは、江戸幕府14代征夷大将軍───徳川 家茂(とくがわ いえもち)で間違いないはずだ。
「景秀…、」
「ん?」
「う、上様とは…どういう関係なの、ですか」
もしかしなくてもこの男は私が気軽に話していい存在ではないかもしれない。
そんなふうに考えると、ふいに敬語に変わってしまう。
などという私の気など知らず、そいつは「ぷはっ」と吹き出すように笑った。