夜が明けぬなら、いっそ。
「そんな名を水戸藩の男が言っていたのを江戸にいた頃、聞いたことあるが」
「なに…?そいつは戸ノ内 彦五郎と言ったか…?」
「…あぁ、確かそんなようだった気がする。詳しく覚えちゃいねえがな」
水戸藩…。
となると、場所は常陸国(ひたちのくに)だ。
「ただ気ぃ付けろ。そいつは裏売買に関わりがある男だ」
「…そいつの名は知っているのか」
「───伊佐(いさ)という男だ。下の名なんざ知らねえ」
とりあえずは十分だ。
なにも情報がないまま手探りで見つけ出すよりは、その名前だけでも助かる。
「…帰ろう小雪。また長旅だ」
「あぁ。感謝する土方」
鼻で笑った男は「2度と来るんじゃねえ」と、厄介者を追い出すように手を払った。
冬空がいっそう体温を奪ってゆく中、景秀は私の手を引いては京の町を抜けた。
「けいしゅ、」
「んー?」
「…お前は徳川に戻らなくていいのか」
「まぁ、俺も任務さえ果たせば表面上は自由の身ではあるからね」
「…そうか」
こいつの任務とやらは何なのか。
私は当分の間、支える殿方に長期休暇を頂くと半ば強引にも手紙を送ってあった。
「ゴホッ、コホッ」
「あらら、少し冷えちゃったかい。今日は宿を取ろうさすがに」
「…昨夜は取っただろ」
「うん確かに壁と屋根はあったけれどね?あれは蔵なんだよ小雪」
そんなやり取りは、“小雪”と呼ばれることは、嫌いではなかった。