オトメは温和に愛されたい
 ただ、頑張って視線を逸らしても逃げられないものがひとつだけ残っていて、残念ながら私はそれから逃れる術を見出せないままに、今、固まってしまってますっ。

 軽自動車って車幅が狭いから、助手席に座ると運転席の温和(はるまさ)が本当に近くて……彼がほんの少し体を動かすだけで、嗅ぎ慣れた柔らかな洗剤の香りが漂ってくるんだもん。普段はいい匂いだな、ってスルー出来る香りも、今みたいに温和(はるまさ)が好きだと意識しまくっているときにはある種の毒になる。

 私、温和(はるまさ)の香りだって意識するだけで、胸の奥がきゅんと切なくなって、息が苦しくなってしまった。

 あ、でも――! 裏を返せば私の匂いも温和(はるまさ)に届いているってことなんじゃ?とか今更のように気がついて、途端恥ずかしくなった。

 今日の私、鶴見(つるみ)先生と一緒にいて……ほんの少し鶴見先生からの移り香がある気がして……それが何だかにわかに不快に思えてくる。

 パンケーキの香りでちょっぴり紛れてはいるけれど……どうかな?

 そんなことを思い始めたら、このニオイをまとったままで温和(はるまさ)に告白するのはダメな気がしてきた。

 するならお風呂に入った後で。

 この匂い――鶴見先生の香り?――をリセットしてからにしないと……私、温和(はるまさ)にふられてもそれを理由に、きっと彼を諦められなくなってしまう。

 それじゃダメだ。

 車を入れ終わった温和(はるまさ)が、シフトレバーをパーキングに入れたと同時に集中ドアロックが解除されて、その音にドキッとする。

音芽(おとめ)、帰ったら時間取れって話だったけど……?」

 まるで私の迷いを見透かしたみたいに、エンジンを切った温和(はるまさ)に、タイミング良くそう問いかけられて、私はビクッとなった。

 エンジン音が消えた車内は、しんと静まり返っている。

 なんて言うか……静か過ぎて温和(はるまさ)の吐息や衣擦れの音まで意識してしまいそうだよ。

「お前……またぼんやりしてたのか」

 溜め息交じりにそう言われて、「そういうわけじゃない、よ……?」とモゴモゴしながらマスコットを握りしめる。
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