オトメは温和に愛されたい
 それに、どうにかこうにか「お疲れ様でした」と返してから、小さく息を吐き出して気持ちを落ち着けようと頑張ってみた。

 でも、ダメだ……。今のままで残っていても、とてもじゃないけど仕事になりそうにない。
 お腹も微かに痛む気がするし、今日のところは帰ろう。

 そう判断してそろそろとパソコンに手を伸ばすと、退勤の手続きを終えて、いそいそと荷物をまとめた。

「お先に失礼します」

 なるべく頑張って声を出して、職員室に残っていらっしゃる先生方へ会釈をすると、逃げるように廊下へ出た。

 まだダメ。
 まだ泣いちゃいけない。

 一生懸命自分に言い聞かせながら、家路を少しずつ少しずつ削るように懸命に足を動かす。

 校門をくぐる時に、ふと見るとは無しに職員駐車場の方へ視線を向けたけれど、死角になったそこは私の立っている場所からはちっとも見えなかった。

 温和(はるまさ)は今頃川越(かわごえ)先生と2人きり、どこで何をしているのかな。
 愛車はどうしたんだろう。
 もし乗っていったとして……助手席に川越先生を乗せたりしたのかな。

 その状況を想像した瞬間、ヒュッと喉が鳴って小さく咳き込んだ。
 ひとしきり()せてから、夜の闇が降りてくる前の薄明の空を見上げて小さく鼻をすすった。天を振り仰いだ目の端から、涙の粒が一粒静かに流れたのは、咳で苦しかったから、かな? それとも――。
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