逆プロポーズした恋の顛末
わたしが手にしていた缶を取り上げてテーブルに置いた尽に、そのままソファーへ押し倒される。
「じ、尽っ!」
「言っただろ? 俺が欲しいのは、父親役だけじゃない」
「だからって、」
いつの間にかルームウェアの中に忍び込んでいた手が脇腹を撫でる。
「――っ!」
あらぬ声を上げそうになり、口を覆うつもりで上げた手を掴まれる。
「キスだけなら、いいだろ?」
切羽詰まった尽の表情から、彼がなんとか理性で欲望を押しとめているのがありありとわかる。
「……キスだけ、なら」
そう呟くなり、唇が重ねられた。
先日のような、慎ましいキスを想像していたら、強引に唇を押し開かれ、思い切り舌を入れられる。
息を継ぐのもままならないような激しいキスの嵐に、わたしの理性はあっという間に風前の灯火と化す。
尽がやめなければ、わたしからはやめられなかっただろう。
「……なんで止めないんだよ」
渋々身を起こした尽に文句を言われ、むっとする。
「そっちこそ……キス以上する気がないなら、やめなさいよ」
「シたくないなら、煽るなって言ってんだよ」
「シたくないなんて、誰が言ったのよ?」
「…………」
驚きの表情でわたしを見下ろす尽の額をペチリ、と叩く。
「尽はね、わたし好みの男なの。誘惑されたら、踏み止まるのが難しいの!」
「べつに……踏み止まる必要はないだろ」
「あるわよ。いまのわたしは、女だけど母親でもある。幸生の存在を忘れて、快楽に溺れるわけにはいかないわ」
「溺れるのは快楽じゃなく、愛情だろ」
「………いつの間に、そんな甘い言葉を言えるようになったわけ?」
わたしといた頃の尽は、「好きだ」という言葉さえ口にしなかった。
行動で、声音で、まなざしで、気持ちをぶつけてくるばかりだった。
言葉にしてほしいと思うひとは少なくないだろう。
でも、わたしは不器用な彼の愛情表現が好きだった。
不器用だからこそ、本物だと信じられた。
むっとした表情で、尽は理由を説明する。
「誰だって、四年も経てば成長する」
「ふうん? 女の口説き方を勉強したってわけね。で、誰に教わったのよ?」
「嫉妬か?」
ニヤリと笑う様が憎たらしい。
「ちがうわよ!」
「嫉妬だろ。眉間にシワが寄ってる」
眉間を指で突く彼を睨みつけると、尽は笑いながら誰に教わったのか明かした。
「教わったのは、律からだ」
「え? わたし?」
「律にフラれて、学習した。いくら自分の中で決めていても、言葉にしなければなかったことと同じだ。四年前の俺は、ガキで、クズで、プライドだけが高くて……別れたくないと言えなかった」
「…………」
「一人前の医者になったら、結婚してほしいと言えなかった」
「…………」
「惚れた女を捕まえるのに、プライドなんて何の役にも立たないと知らなかった」
自嘲の笑みを浮かべた尽は、わたしの腕を引いてゆっくり身を起こすと易々と抱き上げて、ベッドへ運ぶ。
幸生の右隣にわたしを下ろし、自分は幸生を挟んで左隣に横たわった。
「川の字は……夫が妻を襲うには、不都合がありすぎる配置だな」
「……そうね」
「でも、キスはできる」
まさか、と思った次の瞬間、尽が幸生を乗り越えるようにしてわたしに覆いかぶさった。
ただ唇を重ねただけのキスからは、温かく、優しいぬくもりが伝わってくる。
うっとりするのに十分な時間を置いて、唇を離した尽は穏やかな静けさを破るのをためらうように、そっと呟いた。
「俺を……父親にしてくれて、ありがとう。律」
すばやく身を引いた尽が部屋の照明を落とし、視界が暗くなる。
目で見ることはかなわなかったけれど、彼がどんな表情をしているのか、わかった。
濡れたわたしの頬が、教えてくれていた。