逆プロポーズした恋の顛末
(こ、幸生……)
まさか幸生が所長のことを持ち出すとは思っていなかったので、完全に油断していた。
ごまかそうにも手遅れで、気まずい沈黙が流れる。
わたしも午来弁護士も口を挟むことができないまま、じっと見つめる幸生に、夕雨子さんは悲しげな笑みを向けた。
「おじいちゃん先生は、何でも治せるすごいお医者さんなのは知っているわ。でもね、わたしとおじいちゃん先生は、ずうっと昔にケンカをしちゃったの。それっきり、仲直りしていないから行けないのよ」
仲違いしたきりだと聞けば、大人ならそれ以上踏み込まない。
けれど、まだ仲直りできないほどのケンカをしたことがない幸生には、納得がいかなかった。
「あとで、ごめんなさいしなかったの?」
「しなかったわ」
「じゃあ、いますれば? すぐにごめんなさいできなかったら、あとからすればいいんだよ? ごめんなさいを言わないのが、一番いけないんだよ!」
正論だった。
子どもの頃できなかったことが、大人になるとできるようになるのとは逆に、子どもの頃できたことが、大人になってできなくなる場合もある。
大人になればなるほど、素直に謝れなくなるのがいい例だ。
謝るべきだとわかっていても、アレコレ言い訳をつけて「ごめんなさい」という言葉を忘れたフリをする。
そうしてタイミングを逃した言葉は、そのまま胸の奥にしまいこまれ、やがて葬り去られて「後悔」という名の思い出に変わるのだ。
「そうね……いまからでも、ごめんなさいと言うべきなんだけれど、おじいちゃん先生に会いに行く元気がなくて。でも、」
夕雨子さんは、幸生の言い分に頷きながら、何かを決意するようにまっすぐわたしを見上げる。
「律さんと幸生くんは、こうして来てくれたから言えるわね」
骨ばった手で車いすのアームを握りしめ、掠れた声で告げた。
「……ごめんなさい」