逆プロポーズした恋の顛末
自動ドアが閉まり、何がなんだかわからないと目を丸くしている幸生を抱えたまま、午来弁護士はエレベーターに乗り込むと、溜息を吐く。
「まさか、こんなところで遭遇するとは……彼女は、」
「尽の縁談相手……ですよね?」
「ご存じでしたか」
「街で、二人が一緒にいるところを見かけたんです。むこうは気づいていませんでしたが」
「彼女と尽の縁談ですが……実は、正式には破談になっていません」
彼自身の不手際でもないのに、申し訳なさそうに告白する午来弁護士に、頷いてみせた。
「彼女の様子から、そんな気がしました」
「尽がまだ研修医だったこと、彼女が留学を希望していたことなどから、一旦棚上げになったんです。尽は、まったくもって彼女と結婚する気がなかったので、縁談があったこと自体忘れていると思いますが……」
五階に到着したエレベーターを降りて、玄関ドアを開ける。
幸生を下ろした午来弁護士に、「お茶でも飲んで行きませんか」と誘ったのは、「話の続きを聞かせてもらいたい」という意味だ。
一度は目覚めたものの、幸生は相変わらずあくびをしている。
午来弁護士をリビングで待たせて、幸生をパジャマに着替えさせ、ベッドへ連れていった。
いつもは、寝付かせるのに絵本の読み聞かせが必要だが、枕に頭をつけ、ひと言ふた言、夕雨子さんに書く手紙の内容について話しただけで、ストンと眠りに落ちてくれる。
一時間くらいは、寝ていてほしいところだ。
「すみません、お待たせしてしまって」
リビングへ戻り、本日二度目のお詫びを口にすると、礼儀正しい弁護士は首を振る。
前置きはなしで、さっそく本題に入った。
「森宮 睦美さんと尽の縁談は、あちらから持ち込まれたものでした。尽は、彼女の父、森宮教授にとても気に入られていますし、尽も彼を尊敬していますから」
「医局に残らないかと誘われた、と聞いた記憶があります」
「ええ。でも、尽は一日でも早く、自分がいずれ継ぐことになる病院に慣れたかったので、断った」
「そうみたいですね」
跡継ぎという立場を歓迎してはいなくとも、責任は果たす。
そう決めているのだと、話していた。
「縁談が持ち込まれた時、夕雨子さんも、さすがに彼女の人柄を知らずに話を進めるつもりはありませんでした。しかし、偶々どこかのパーティーで二人が一緒にいるところを見て、話を進めてもいいのでは、と考えたようです。同期で医者同士、気も合うし、家柄、学歴、容姿も釣り合いが取れる、と」
「確かに……彼女なら、尽に相応しいでしょうね。医師として、妻として尽の役に立てる。いまも、おそらくこの先もずっと」
「それは……」
四年前、自分が言ったことを覚えている午来弁護士が、気まずそうな表情で口ごもる。
そんな彼をいじめるつもりはなかったので、きっぱり宣言してみせた。
「でも、四年前のように、黙って尽を彼女に差し出すつもりはありません」
せっかく夕雨子さんが認めてくれたのに、尽との関係を放り出すなんて、あり得ない。
所長、京子ママ、山岡さん、保育士さん、夕城夫妻……たくさんの人が、わたしたちのことを心配し、後押ししてくれている。
それなのに、当の本人が尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかないだろう。
「幸生には父親が必要ですし、わたしにも夫が必要です。だから……尽の気持ちを無視して行動するつもりはありません」