逆プロポーズした恋の顛末
義父のあとを付いて行った吉川さんは、すぐには戻る気配がなく、エントランスまで見送りに出たらしい。
顔を歪めたまま黙り込む所長に声をかけ、その気持ちを聞きだすのはわたしの役目になりそうだ、と思った矢先、幸生がその腕を掴んで軽く揺さぶった。
「おじいちゃん先生、どこか痛いの?」
「え? あ、いや……」
「……恵おじいちゃんとケンカしたの?」
話の内容が理解できない幸生の目にも、二人が仲良くしているようには見えなかったはずだ。
所長は、眉尻を下げて弱り切った笑みを浮かべる。
「ケンカではなく、叱られたんだ」
「おじいちゃん先生、わるいことしたの?」
「そうだよ。ずっと昔に……とても悪いことをしたんだ。……ゆーこちゃんに」
強張った所長の表情には、後悔が滲み出ていた。
義父は、夕雨子さんに対して所長は無関心だったと責めたが、決してそんなことはなかったのだと思われる。
所長は、わたしたちのような赤の他人(だと思っていた)にも、温かな愛情を注げる人だ。
たとえ政略結婚だったとしても、縁あって夫婦になった夕雨子さんに無関心であれるはずがない。
彼女のことを悪しざまに言うけれど、本当の気持ちはちがうと思われる。
好きの反対は、無関心。
嫌いという感情を抱いていたのだから、無関心ではなかった。
きっと、「無関心を装っていた」だけ。
本人が、年を取って丸くなったと言っている現在でさえ、所長はかなり頑固だ。
若い頃、きっと医師として、病院の経営者として、父親としていっぱいいっぱいだった頃は、もっと頑固だったことだろう。
夕雨子さんもまた、プライドが高く、頑固なタイプだとすれば……。
お互いに、悪いと思っていても素直に謝れず。
仲直りしたいと思っていても、素直に歩み寄れず。
盛大なすれ違いの末、とうとう夕雨子さんの心が折れ、離婚に至ったのではないか。
もしかしたら所長は、すぐにでも離婚したいと言いながら、夕雨子さんが離婚を切り出すはずがないとタカを括っていたのではないか。
そんな気がする。
「じゃあ、ごめんなさいしようよ? ゆーこちゃんに」
「…………」
幸生の誘いに、所長が「そうする」と言えないのは、頑固な彼女を知っているから。
そんな彼女に拒絶されるかもしれないから。
人間、どうでもいい相手に嫌われようと何と思われようと、どうでもいいものだ。
でも、どうでもよくない相手だと、そうはいかない。
嫌われるのが怖い。
(つまり、好きだってことじゃないの)