逆プロポーズした恋の顛末


靴を脱いだ幸生が、砂浜へ続く階段を降りていくのを見守りながら、尽は脱いだ上着をわたしの肩にかけてくれた。


「ありがとう」

「外で結婚式をするなら、もう少し暖かくなってからがいいな」

「そうね」


幸生は、さっそく砂浜にしゃがみこんで、何やら掘り返している。

その様子を眺めながら、波の音に耳を傾ける。
信じられないくらい平和で、穏やかで、ついさっきまでバタバタしていたのが嘘のようだ。

いま頃、所長は夕雨子さんとどんな話をしているだろうか。

二人の心が、目の前に広がる凪いだ海のように、穏やかであることを祈るばかりだ。


「なあ、律」


触れ合う場所から伝わる心地よい温もりに、すっかりくつろいでいると、尽がおもむろに口を開いた。


「なあに?」

「これから仕事が忙しくなることはあっても、暇になることは……引退するまでない。だから、律や幸生に我慢させることが多いと思う」

「それは、しかたのないことでしょ?」


尽に限らず、医師は忙しく、大変な重責を担う仕事だ。
わたしや幸生を最優先にできなくてもしかたがないし、そうしたいと思って、わざと後回しにしているわけではないとわかっている。


「話す時間さえ、まともに取れなくて、律が悩んでいても気づいてやれないかもしれない。俺は、ジイさんに似て頑固だから……すれ違っているとわかっていても、素直になれないかもしれない」

「わたしだって、尽が悩んでいることに気づいてあげられないかもしれないわ。だから……わかりやすいサインでも決める?」

「サイン?」

「そう。話し合いたいことがある時だけじゃなくて、喧嘩して謝りたい時とか、寂しい時とか、素直になりたいと思っている時に出すサイン」


大人になればなるほど、素直になるのが難しくなる。
きっかけを決めておけば、尽だけでなく、わたしも素直に歩み寄れるだろう。

ホステス時代、喧嘩して仲直りしたい時、奥さんの好きなものを買って帰る、というお客さまの話はよく聞いた。


「どんなサインだ?」

「そうねぇ……」


ベタに、ケーキやチョコレート、花という手もある。
けれど、できることなら、二人だけにしかわからない意味のあるものがいい。

たとえば、愛おしいという気持ちを思い出せるような、特別なもの。

しばし二人で考え込み、やがて異口同音に出た言葉は、


「「ブリトー?」」


< 260 / 275 >

この作品をシェア

pagetop