逆プロポーズした恋の顛末
「所長、幸生の様子は……」
小声で訊ねると、所長はにっこり笑った。
「いまのところ、問題なさそうだ。季節の変わり目は、大人も子どもも体調を崩しやすいからなぁ。規則正しい生活をし、きちんと食事で栄養を摂って、よく遊んでいれば、自ずと丈夫に育つ」
「よかった……」
ホッとして胸を撫で下ろしたところで、幸生がおかわりを要求する。
「ママー、ブロッコリーもうないの?」
「ママの分をあげる」
「いいの?」
「うん。ママにはちょっと多かったみたい」
「ママ、ありがとう!」
「どういたしまして」
保育園という集団社会で育った幸生は、保育士さんに聞き分けが良すぎて心配になっちゃう、と言われるくらいワガママを言わない。
すぐに遠慮したり、譲ったりする。
それはいいことだと思う反面、ワガママを言えないのは、わたしがいろんなことを我慢させてしまっているからじゃないかとも思う。
自分では精一杯のことをしているつもりでも、足りないものはいっぱいある。
一番は、父親。
まだ、面と向かって「お父さん」や「パパ」について質問されたことはないけれど、保育園の行事で他の子たちの「パパ」を見ているし、気になっているはずだ。
いつか、訊かれる時が来ると覚悟はしているものの、幸生を納得させられそうな答えは、未だ見つけられずにいる。
「ごちそうさまでした~!」
「ごちそうさま。うーん、お腹いっぱいだなぁ」
「おじいちゃん先生。絵本! 絵本読んで!」
「わかった、わかった」
食べ終えるなり、すぐさまねだる幸生に応え、所長は絵本を読み始める。
額を寄せ合うようにして絵本を眺め、時折声を上げて笑う二人に背を向け、食器を洗いながら、つい考えてしまう。
(もしも、尽と結婚していたら、こんな日常を送っていた……とは限らないか)
尽とは、生まれ育ちも職業も、年齢も、何もかもがちがいすぎた。
恋愛している間は目をつぶっていられることも、お互いの人生に深く関わり合うとなれば、そうはいかない。
四年前、突き付けられた現実を思い出しかけて、首を振る。
(過去は、過去。現在は、現在よ。いまさら考えても、どうにもならないわ)