逆プロポーズした恋の顛末
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「こんばんは、マスター!」
まだ、誰もいないだろうと踏んで、ずっしりとした扉を開けた途端、がっかりした。
珍しいことに、この時間帯に先客がいる。
カウンターには、男性客が一人座っていた。
しかも、わたしの定位置に。
「こんばんは」
にこやかに挨拶を返してくれたマスターは、いつもの席が埋まっていて申し訳ないと言いたげな目配せを寄越す。
リザーブしているわけではないので、そういうこともあると諦めて、定位置から二つ離れた椅子に座る。
「すっかりご無沙汰しちゃってました」
「うん。りっちゃんがこんなに長い間顔を見せないなんて初めてだったから、心配してたんだよ。具合でも悪くしているんじゃないかって」
アラサーにもなって、「ちゃん」づけで呼ばれるのは何ともこそばゆいが、この街でわたしを本名で呼ぶ人は、マスターのほかには元カレたちくらいしかいない。
わたしが「アイ」という源氏名ではなく、「律」という本名を忘れずにいるために、マスターは必要不可欠な存在だった。
「ちょっと地元に戻ってて。これ、お土産です」
手にしていた紙袋を差し出すと、マスターは「そんな気を遣わなくてもいいのに」と眉根を寄せつつも、「ああ、これ! 美味しいんだよねぇ」と喜んでくれた。
じゃがいもを原料としたスナック菓子は、食べ応えがあって、個包装の一袋でもけっこう満足できる。
一時期品薄になるほど人気があり、いまではすっかり定番のお土産になっていた。
「今日は、何を作ろうか?」
マスターオリジナルのカクテルも魅力的だが、まずはお腹を満たすのが先だ。
「来て早々で申し訳ないんですけど、お腹空いてるんでナポリタンとサングリア。ソーダ割りでお願いします」
「了解」
マスターの作るナポリタンは、ソーセージとピーマン、玉ねぎという具材を使い、味付けはオーソドックスなケチャップ。由緒正しい味付けと見た目で、時々無性に食べたくなる一品だ。
サングリアは自家製。香りも味も抜群にいいので、お気に入りだった。
「確か、地元は空港から遠いって言ってたよね?」
「はい。電車もバスもない、山奥です。久しぶりに車で山道を運転しなきゃならなくて、生きた心地がしませんでした」
「わかるよ。僕も、すっかりペーパードライバーだから。いまどきの車だと、エンジンすらかけられないかもしれない」
「わたしもです。レンタカーがスマートキーだったんで、かなり戸惑いました」
ひとしきり最近の車のハイテクぶりについて話し、ホカホカのナポリタンを食べながら、美しい赤紫色をした液体を口に含んだ瞬間、ぼそっと呟く声が聞こえた。
「よくそんな組み合わせで酒が飲めるな」