壊れた少女は少年にキスをする
10
――二年後。九月。夕方。ホストクラブ「LOVE」にて、千尋は仕事前の準備をする。源氏名は「春野神子(はるのみこ)」。
髪型を整え、衣服を着替える。これから夜通し酒を飲む。ならし、として、バックヤードで缶ビールを一缶飲んだ。
「おい。神子。なんか外で騒いでるやつがいるんだけど」
「……外?」
「おお。なんかお前の客だとかなんだとか騒いでる女なんだけど、知りあいか? 背が高くてショートボブの女なんだけど」
千尋は不穏な顔をする。職場では大人しい。愛依子の前で見せるような、無邪気さはない。だが、幼気な容姿とあいまって、可愛がられている。仕事は真面目に取り組む。休んだことはない。始業前から出勤し、清掃やセッティングを手伝う。終業後も、残業。毎日。
オーナーの夜神流星(やがみりゅうせい)は、二〇代後半の男性である。千尋を高校生と知りながら、雇っている。
「トラブルか? お前……、ちょっと厄介なお客さんが多いからな。気をつけろよ」
「いえ……、夜神さん。お客さん、じゃないと、思います」
「手を貸そうか?」
「うーん……」
夜神は、千尋の事情をよく知らない。琴音に紹介され、雇うことにした。琴音とは、仕事上付きあいがある。従業員のメンタルケアを、経費で実施している。ケアを行うのは、琴音のクリニックである。夜の仕事。サービス業。ホストに狂い、心を病む客は多い。だが、従業員も人間。生活リズムの乱れ、毎晩の大量飲酒。嵐のように人と会っては別れ、話し続けるストレス。夜神も元はホストだった。心のケアの重要性をよく知っている。ホストたちは、二ヶ月に一回、琴音のカウンセリングを受けることになっている。
琴音が紹介してきた子供。事情があるのは想像出来た。最初は断った。未成年を働かせるほど、経営に困ってはいない。だが、ひと目見て、考えが変わった。
才能を感じた。一八歳とは思えないほど、幼い容姿。声。オドオドと落ちつかない態度。だが、澄みきった瞳で、つぶさに見つめる視線。その姿に、子犬や子猫を連想した。可愛いと思った。人を惹きつける、天性のオーラ。夜の世界で求められるのは、一つ。非現実性。夜神は経験から、独自の理論を構築していた。キラキラとしたミラーボール。輝く店内で、お客さんが求めるのは、夢の世界である。現実を忘れさせてくれる場所。ホストは、妄想の具現化でなければいけない。その方法論は、無数にある。
爽やかで優しい男性を演じてもいいし、唯我独尊の性格でもかまわない。だが、時に天才が現れる。あるがままの姿で、非現実を実現できる才能。
純粋性である。夢を求める女性たちは、大抵、ピュアだ。荒れた世の中。腐りきった世界で、少年のような純粋性に触れた時、夢中になる。
千尋にはそれがある。断るには勿体ない。と夜神は思った。神子と名付けたのは、神に選ばれし子供だと思ったから。同時に、「夜神」、自分を継ぐ「子供」になると思ったからである。
千尋は店外へ出る。まだシャッターが降りた正面入り口。千尋は裏口から向かう。
「だ~か~ら! あたしはお客さんなの! 千尋くんの! あ……、えっと神子! 春野神子くんの! 広瀬ゆず葉ってゆってもらえれば分かるから~!」
「ちょっと! いい加減にして下さいよ~。神子はまだ勤務時間外ですし、あんまりに暴れられると警察を呼ぶしかなくなっちゃいますよ」
「じゃー、呼んだらいいじゃん! 神子くんは……、千尋くんはまだ一八歳だよ! 誕生日は八月三十一日! 成人するのは二年後! 未成年を働かせてる事実がバレたら、困るのはあなたたちじゃないの?」
「はぁ? 未成年……? なにを言って……、神子は二十歳だ。うちは健全な店なんだ」
「じゃー、警察呼びなさい! あたし、洗いざらいバラして、千尋くんを救うんだから!」
――広瀬さん。やめて。
正面入り口。空は暗くなってきた。ネオンの灯り。人の熱気が高まる。
ゆず葉と事務の柳沢が、もみ合いになっている。ゆず葉はワンピースにコートを着ている。丈が短い。派手なネックレス。制服をどこかで着替えた様子だった。
千尋は淡々と声をかけた。
ゆず葉は嬉々とする。願いが叶ったような、笑顔。高い声が、一層、高くなる。
「わぁ~! 千尋……、いや神子くん! スーツも似合うね! かわいい~」
「おい神子。お前、この人と知り合いか? なんだかお前が未成年だとかなんだとか……」
「え? あ……、あぁ……、その」
「えへへ~! 今のは嘘で~す! 神子くんに会いたくて、ちょっと問題を起こせば出てくるかなぁ~って、思ったのです! ね? 神子くん。そーだよね?」
「そうなのか? 神子」
「あ……、え。は、はい。そうです。はい」
「えへへ~、神子くんは優しいから、来てくれるって思ったよ~! だってあたしの王子様だもんね! 神子くんは!」
「おい、神子。お客さんのアフターケアはちゃんとやらないとって、教えたろ。お前、確かこの前も、変な女がナイフ持ってきて、暴れたよな? そこんとこちゃんとしないとな」
「はい……、すいません」
「お客さんも! うちは健全なお店なので、あんまり騒ぎは起こさないで下さいね!」
「はぁ~い。すいませ~ん」
柳沢は不穏な顔で店内に戻る。二人きりになる。冷たい風は夜風に近い。ゆず葉は、息をつく間もなく、千尋に飛びつく。腕をがっしりと掴む。千尋より背が高い。千尋は無抵抗。ゆず葉は満面の笑み。大好きな恋人に会ったように。
「ガシ――。にしし~、これでもぉ~逃げられな~い! つっかまえた~!」
「……、やめてください。広瀬さん。困ります。僕」
「な~んで? えへへ、あたし結構可愛いと思うんだけどなぁ? ほら、胸だって結構大きいしぃ……、ぎゅぎゅっ」
「押し当てないで下さい。困ります」
「だ・か・ら、な~んで? 男の子は、好きじゃん! おっぱい!」
「……、なにか用事ですか?」
「つれないなぁ~、千尋くんはぁ~。それでも、ホストなの? あたしのこと喜ばせてよ」
「……、用事がないなら、帰って下さい」
ゆず葉は千尋に胸を押し当てる。千尋は無表情。反応がない。ゆず葉は、高校生。学校ではモテる。中学時代から、男性受けがいい。中学二年生から、毎年、二人以上に告白されてきた。が、彼氏が居たことはない。全て断ってきた。
「やだ!」
「……、困ります」
「ね! あたし、お店に案内してよ! あたしもお客さんだよ」
「……、未成年は無理ですよ。うちは年齢確認しますし」
「千尋くんだって未成年でしょ!」
「……、あんまり大声で言わないでください」
「えへへ、あたしね、また調べたんだよ! 凄いでしょ? 高校の友達にね、探偵会社の息子がいるって言ったでしょ? 前とおんなじ! それでね、千尋くんたちのこと調査してもらったの。引っ越したよね? でもね、新しいおうちも知ってるよ? 東京都新宿区歌舞伎町三二の……」
「……、なんでそんなことするんですか?」
「好きだからに決まってるじゃん」
「……、僕は好きじゃない」
「うッ……、ち、千尋くん、厳しいなぁ。もっとオブラートに包んでくれないと、あたしのガラスのハートは砕けちゃうよ~?」
「……、好きじゃない。好きなのはめいちゃんだけ。好きじゃない」
「……、と~もかく、案内して。じゃないと、警察呼んじゃうよ? 未成年がホストクラブで働いてるって通報しちゃうからね」
「……、困ります」
ゆず葉の執着は強い。千尋と愛依子のことをずっと追ってきた。あの日、あの会話。渡り廊下の二人を見ていた。あの日から、ずっと。
――二年後。九月。夕方。ホストクラブ「LOVE」にて、千尋は仕事前の準備をする。源氏名は「春野神子(はるのみこ)」。
髪型を整え、衣服を着替える。これから夜通し酒を飲む。ならし、として、バックヤードで缶ビールを一缶飲んだ。
「おい。神子。なんか外で騒いでるやつがいるんだけど」
「……外?」
「おお。なんかお前の客だとかなんだとか騒いでる女なんだけど、知りあいか? 背が高くてショートボブの女なんだけど」
千尋は不穏な顔をする。職場では大人しい。愛依子の前で見せるような、無邪気さはない。だが、幼気な容姿とあいまって、可愛がられている。仕事は真面目に取り組む。休んだことはない。始業前から出勤し、清掃やセッティングを手伝う。終業後も、残業。毎日。
オーナーの夜神流星(やがみりゅうせい)は、二〇代後半の男性である。千尋を高校生と知りながら、雇っている。
「トラブルか? お前……、ちょっと厄介なお客さんが多いからな。気をつけろよ」
「いえ……、夜神さん。お客さん、じゃないと、思います」
「手を貸そうか?」
「うーん……」
夜神は、千尋の事情をよく知らない。琴音に紹介され、雇うことにした。琴音とは、仕事上付きあいがある。従業員のメンタルケアを、経費で実施している。ケアを行うのは、琴音のクリニックである。夜の仕事。サービス業。ホストに狂い、心を病む客は多い。だが、従業員も人間。生活リズムの乱れ、毎晩の大量飲酒。嵐のように人と会っては別れ、話し続けるストレス。夜神も元はホストだった。心のケアの重要性をよく知っている。ホストたちは、二ヶ月に一回、琴音のカウンセリングを受けることになっている。
琴音が紹介してきた子供。事情があるのは想像出来た。最初は断った。未成年を働かせるほど、経営に困ってはいない。だが、ひと目見て、考えが変わった。
才能を感じた。一八歳とは思えないほど、幼い容姿。声。オドオドと落ちつかない態度。だが、澄みきった瞳で、つぶさに見つめる視線。その姿に、子犬や子猫を連想した。可愛いと思った。人を惹きつける、天性のオーラ。夜の世界で求められるのは、一つ。非現実性。夜神は経験から、独自の理論を構築していた。キラキラとしたミラーボール。輝く店内で、お客さんが求めるのは、夢の世界である。現実を忘れさせてくれる場所。ホストは、妄想の具現化でなければいけない。その方法論は、無数にある。
爽やかで優しい男性を演じてもいいし、唯我独尊の性格でもかまわない。だが、時に天才が現れる。あるがままの姿で、非現実を実現できる才能。
純粋性である。夢を求める女性たちは、大抵、ピュアだ。荒れた世の中。腐りきった世界で、少年のような純粋性に触れた時、夢中になる。
千尋にはそれがある。断るには勿体ない。と夜神は思った。神子と名付けたのは、神に選ばれし子供だと思ったから。同時に、「夜神」、自分を継ぐ「子供」になると思ったからである。
千尋は店外へ出る。まだシャッターが降りた正面入り口。千尋は裏口から向かう。
「だ~か~ら! あたしはお客さんなの! 千尋くんの! あ……、えっと神子! 春野神子くんの! 広瀬ゆず葉ってゆってもらえれば分かるから~!」
「ちょっと! いい加減にして下さいよ~。神子はまだ勤務時間外ですし、あんまりに暴れられると警察を呼ぶしかなくなっちゃいますよ」
「じゃー、呼んだらいいじゃん! 神子くんは……、千尋くんはまだ一八歳だよ! 誕生日は八月三十一日! 成人するのは二年後! 未成年を働かせてる事実がバレたら、困るのはあなたたちじゃないの?」
「はぁ? 未成年……? なにを言って……、神子は二十歳だ。うちは健全な店なんだ」
「じゃー、警察呼びなさい! あたし、洗いざらいバラして、千尋くんを救うんだから!」
――広瀬さん。やめて。
正面入り口。空は暗くなってきた。ネオンの灯り。人の熱気が高まる。
ゆず葉と事務の柳沢が、もみ合いになっている。ゆず葉はワンピースにコートを着ている。丈が短い。派手なネックレス。制服をどこかで着替えた様子だった。
千尋は淡々と声をかけた。
ゆず葉は嬉々とする。願いが叶ったような、笑顔。高い声が、一層、高くなる。
「わぁ~! 千尋……、いや神子くん! スーツも似合うね! かわいい~」
「おい神子。お前、この人と知り合いか? なんだかお前が未成年だとかなんだとか……」
「え? あ……、あぁ……、その」
「えへへ~! 今のは嘘で~す! 神子くんに会いたくて、ちょっと問題を起こせば出てくるかなぁ~って、思ったのです! ね? 神子くん。そーだよね?」
「そうなのか? 神子」
「あ……、え。は、はい。そうです。はい」
「えへへ~、神子くんは優しいから、来てくれるって思ったよ~! だってあたしの王子様だもんね! 神子くんは!」
「おい、神子。お客さんのアフターケアはちゃんとやらないとって、教えたろ。お前、確かこの前も、変な女がナイフ持ってきて、暴れたよな? そこんとこちゃんとしないとな」
「はい……、すいません」
「お客さんも! うちは健全なお店なので、あんまり騒ぎは起こさないで下さいね!」
「はぁ~い。すいませ~ん」
柳沢は不穏な顔で店内に戻る。二人きりになる。冷たい風は夜風に近い。ゆず葉は、息をつく間もなく、千尋に飛びつく。腕をがっしりと掴む。千尋より背が高い。千尋は無抵抗。ゆず葉は満面の笑み。大好きな恋人に会ったように。
「ガシ――。にしし~、これでもぉ~逃げられな~い! つっかまえた~!」
「……、やめてください。広瀬さん。困ります。僕」
「な~んで? えへへ、あたし結構可愛いと思うんだけどなぁ? ほら、胸だって結構大きいしぃ……、ぎゅぎゅっ」
「押し当てないで下さい。困ります」
「だ・か・ら、な~んで? 男の子は、好きじゃん! おっぱい!」
「……、なにか用事ですか?」
「つれないなぁ~、千尋くんはぁ~。それでも、ホストなの? あたしのこと喜ばせてよ」
「……、用事がないなら、帰って下さい」
ゆず葉は千尋に胸を押し当てる。千尋は無表情。反応がない。ゆず葉は、高校生。学校ではモテる。中学時代から、男性受けがいい。中学二年生から、毎年、二人以上に告白されてきた。が、彼氏が居たことはない。全て断ってきた。
「やだ!」
「……、困ります」
「ね! あたし、お店に案内してよ! あたしもお客さんだよ」
「……、未成年は無理ですよ。うちは年齢確認しますし」
「千尋くんだって未成年でしょ!」
「……、あんまり大声で言わないでください」
「えへへ、あたしね、また調べたんだよ! 凄いでしょ? 高校の友達にね、探偵会社の息子がいるって言ったでしょ? 前とおんなじ! それでね、千尋くんたちのこと調査してもらったの。引っ越したよね? でもね、新しいおうちも知ってるよ? 東京都新宿区歌舞伎町三二の……」
「……、なんでそんなことするんですか?」
「好きだからに決まってるじゃん」
「……、僕は好きじゃない」
「うッ……、ち、千尋くん、厳しいなぁ。もっとオブラートに包んでくれないと、あたしのガラスのハートは砕けちゃうよ~?」
「……、好きじゃない。好きなのはめいちゃんだけ。好きじゃない」
「……、と~もかく、案内して。じゃないと、警察呼んじゃうよ? 未成年がホストクラブで働いてるって通報しちゃうからね」
「……、困ります」
ゆず葉の執着は強い。千尋と愛依子のことをずっと追ってきた。あの日、あの会話。渡り廊下の二人を見ていた。あの日から、ずっと。