壊れた少女は少年にキスをする
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 二年前。九月。
 広瀬ゆず葉の執着は愛依子を追い詰めていた。

 四月のマクドナルドで再会した。ゆず葉の気持ちは分かる。千尋が好き。ゆず葉と千尋の出会いは、知っている。千尋から聞いた。
 そんなことで、ずっと好きでいるなんて、ゆず葉はピュアだ、と愛依子は嘲る。それは、自分を否定するようで、胸が痛い。

 夏から、千尋と二人暮らしを始めた。生活費は、千尋が稼いでくれる。スーパーや飲食店で日中夜アルバイトをしている。都内にマンションを借りて、同棲。
 高校はやめた。合わないと思った。千尋に相談すると、二つ返事で一緒に退学してくれた。

 四月。あの日から、ゆず葉が、目の前に現れるようになった。二人で出かけると、ゆず葉がどこからともなく出現する。笑顔で、元気で、可愛い。活発な女子高生。時に制服を着ていて、見るからに健全。
 居場所を知られているのか。行動を監視されているのか。ストーカー? 住所も特定されているのか。
 千尋は、ゆず葉になびくことはない。だけど、ゆず葉に会う度に、愛依子は不安になる。不安そうな千尋をみる度に、自分も、揺れてしまう。

 恐いのである。高校をやめたのは、千尋が、告白されたからだった。同級生の女子に、千尋がある日、告白されたのを見た。愛依子が、女子更衣室にいる時だった。高校では、ずっと一緒にいることは出来ない。側を離れたその時、千尋は告白されていた。着替えから戻った愛依子は、その瞬間を見た。
 少し可愛い女子。背は自分より小さい。瞳はブラウン。紅くはない。胸は、普通。肌は少し焼けていて、髪は、自分と同じくらい。ちょっと自信なさげで、でも一生懸命に、千尋に想いを伝えていた。
 聞けば、小学校の同級生だった。親が再婚し、名前が変わったのだという。見た目も大分変わった。最初、愛依子は、同級生と知らなかった。千尋はどうだっただろう。愛依子は訊けなかった。答えによっては、壊れてしまう気がして。

 千尋の回答は、記憶がない。沼に落ちたよう。それからすぐ、高校をやめた。
 
「愛依子ちゃんも、いつかは素直にならないと、きっと壊れてしまうわよ」
「……、よく分かんないです。私、元からおかしいですし。親に、虐待されてたし」
「そういうところよ。あなたの問題は。どうしてそう、強がるのかしら」
「強がってないです。元気です。私は」

 三上琴音の治療は、継続して受けていた。中学二年生のあの日から、月に一回、カウンセリングをしている。治療費は、無料。琴音が支援してくれている。
「きみたちを見ていて心配になったから」と、琴音は理由を語る。真偽は不明。琴音は精神科医。メガネをかけていて、落ち着いている大人の女性。だけど、時々冗談を言うし、自虐ネタを言う。愛依子は、琴音を信用していなかった。それでもカウンセリングをしていたのは、眠れないからである。
 薬が欲しかった。
 あの日以来、薬がないと眠れない。デパスやマイスリー程度の眠剤では眠ることが出来ない。
 目を閉じると、音がする。人と人が擦れる音。肌が触れあう音。水の音。悲鳴。絶叫。叫びが、脳内で反響する。声に脅かされて、眠れない。
 
 夜。同棲している二人のマンション。ベッドは一つ。中古で買ったシングルベッドで一緒に寝る。小さい千尋。無垢な顔で眠っている。私のために働いてくれている。嬉しい。愛おしい。千尋の髪をそっとかき分ける。触れた頬は冷たい。思わずキスをする。この気持ちは、なんというのだろう。愛。所有欲。それとも、感謝か。

「素直にならないと、いつか壊れるわよ」

 琴音の言葉を思い出す。月明かり。自動車の音が、声をかき消す。いらない言葉。知らない。先生なんて。私は幸せである。あの境遇を抜け出せた。これでいい。言い聞かせた。

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