壊れた少女は少年にキスをする
12
【今すぐ千尋くんを解放して欲しい。じゃなかったら、あたし、全部警察に言う。全部】
十月。ポストに投函されていた手紙。差出人は記載がない。筆跡は女性の字。
【明日、夜七時。そっちに行くから、二人で話しまししょう。あたしね、あの日聞いてたんだ。全部】
同時に封入されていたのは、USBメモリーだった。愛依子は家に持ち帰り、千尋がいない時に、メモリーを見た。スマホに接続。中には、音声ファイルが一つ。
――私がね、二人に薬をやってもらう。でね、ハイになって一通り暴れてもらう。その後って、どうなると思う? 薬をやった後ってね、壊れちゃうの。口からも下からも涎を垂らしてね、白眼をむいちゃうの。言葉も話せなくなって、嗚咽をもらすだけ。そしたらね、千尋が家に入ってきて、刺すの。めった刺し。無抵抗の二人だから、簡単に殺せるはずよ――
背景で、声がする。誰かの声。ボールが弾む音。シューズが擦れる音。ああそうだ。これは中学生のころ。千尋と両親の殺害の計画を立てた時の話。
陰で聞いていた心当たりのある人物は一人だけ。
愛依子は微笑する。嘲り笑う。あの子を笑う。自分も笑う。
――翌日。
十九時。
マンションにやってきたのは広瀬ゆず葉。
これ見よがしに着用する高校の制服。スカート丈が短い。健康的な白い足。綺麗だと思った。
「あの日、聞いてたの? 気持ち悪いわね。盗み聞きが趣味なの?」
「違う。部活の休憩で……、千尋くんを見かけたから、声をかけようと思ったら、長澤さんもいて……、なんか神妙な感じだったから、ちょっと臆しちゃって……」
「それで録音? 普通そこまでする?」
「だって、ヤバイ話しじゃん」
「脅し? でも、この音声じゃ、脅しにもならないわよ」
「そっかなぁ? 結構、ヤバイと思うけど?」
「ううん。だって、私たち、計画を立てただけだもん。実際殺したのはお母さんだし、自殺したのもほんとだし。私たちは無罪よ」
「でも、長澤さん。千尋くんに、殺してって頼んでたよね? それに、計画も具体的だし、本当に殺そうとしたんだよね? これって、殺人未遂だよね?」
「……、本当にする気だったか、までは、音声だけじゃ分からないわよ。冗談だったのかもしれない」
「ま、それを判断するのは私じゃないけど……、警察の人がどう思うか」
「……言いたいなら、言えば? 別に、何年も前の事件だし……、今さら警察も関心ないよ。ちょっと事情聴取されて、それで終わり。千尋はなにも話さないし」
――「長澤さん、自分にも嘘ついてる」
「……? ついてないよ。なにを言ってるの? 広瀬さん」
「私……、あの日、千尋くんに会いに行ったんだよ。計画の実行日は知ってたから、もし本当に実行したらって……、恐くなって。そしたら、長澤さんの家に向かう千尋くんを見かけた」
「……そのころからストーカー? 広瀬さんって結構ヤバイ人だよね? 普通っぽいフリをしてる、犯罪者」
「あたしは気持ちに一途なだけ。それより、そんな想いを利用して、人を操る長澤さんこそ異常者」
「なにを言ってるの? 私は操ってなんかない。千尋は、自分で私を選んだんだよ」
「違う。あの日ね、私、長澤さんの家に行ったんだ。千尋くんの後をつけて」
「……え?」
「それでね、見たんだ。例の事件。長澤さんのご両親が、死ぬところ。見てたの。二人の後ろから、ずっと」
「……!?」
――「長澤さんは、自分にも嘘ついてる。本当に殺してないの? 本当にそう? 本当に?」
「――うッ……、あッ……、あぁ……、あ、頭が……、うぅ」
「本当に真実? 本当に殺してない? 本当に? 都合が悪いから、忘れてるだけじゃないの? そうじゃないの?」
「あぐ……、え、……、うぅ、なにこれ、なんで……、なにこの頭痛。痛い……、痛い……痛い」
突然の頭痛に悶える。
マンション。十九時。千尋は、夜のアルバイトに出かけている。十月の風が窓から吹き込む。冷たい。だけどそれ以上に痛い。頭が痛い。
リビング。カーペットの上。座った二人。いつもは愛依子と千尋。今日はゆず葉と愛依子。ローテーブルを囲む。
あまりにも痛い。愛依子は、頭を抑えて、倒れ込む。記憶が雪崩れこむ。
琴音が言っていた症状。PTSDの一つ。フラッシュバック。事件当時の記憶が、突然に蘇る。まるでそこにいるように、再体験する。
「あぐ……、うぅ……、あぁ……」
一瞬にして、あの日を再体験する。寒空。夜。古ぼけた家屋。白い粉。焦げた匂い。父と母。擦れ合う音。
「お、お父さん、やめて。私、私は……」
「お前は俺の娘だろ! なにをしてる? なにを考えてるんだ」
あの夜。父は薬物を吸って、ハイになった。スプーンであぶって、鼻から吸引する。毎晩のように見てきた光景。
父は暴れて母を殴る。母も、薬物を使用し、殴られても笑っている。
父は愛依子も殴る。そして、倒れた愛依子のスカートをまさぐる。覆い被さる。擦れ合う音。腐った匂い。よく知っている。いつもの光景。
「私は……、もうやられない! 私……、自由になる!」
「自由……? はははは! そうか、自由か! いいじゃないか! 自由! 自由! フリーダム!」
「お父さん……、死んで」
愛依子は果物をナイフをぎゅっと握り、父の胸部を刺した。
「ぐはぁ……、あぁ……、お、おぉぉ。いいぞ。いい! いい! いい! 血だ! 血! 血! 血ぃぃぃぃ!」
「異常者……」
――「あたし。見てたよ。千尋くんが行った時にはね、もう長澤さんのお父さんは死んでた。血だらけになって、倒れてた」
同棲するマンション。愛依子は朦朧とする。ゆず葉は、毅然とした態度で言った。
「長澤さんが、殺したんだよね? 千尋くんは、大声で叫んでた。きっとよくわかんなくなっちゃったんだと思う。守る! 助ける! って」
「……、あ……、わ、私が……、殺した……?」
「あたしも調べたんだよ。三上琴音先生って知ってるよね? 精神科医の。あたしね、あの日のことを、話した。三上先生と、千尋くんに」
「……ッ! なんで……、そんなこと!」
「長澤さんが嘘つきだからだよ。千尋くんは素直で、いい子なんだ。だから、助けたいの。また昔みたいに、かっこいい優しい男の子に戻って欲しい」
「それは、広瀬さんの自己満足でしょ! ただあなたが、好きな男の子を私に奪われて、納得できないだけでしょ! 違う?」
「そーだよ! でも……、いーじゃん! 別に! 好きなんだから! 恋にルールなんてないもん! それに……、長澤さんは犯罪者でしょ」
「だからなに? なんなの? どうしたいの? もう帰って。もう、私たちの前に現れないで」
「だめ。長澤さんが、千尋くんを解放しない限り……、この事実を警察に言う。今日。この後」
「今さら言ったところで、なにも変わらない! それに……、あなただってストーカーでしょ? 潔白な人じゃないでしょ! そんな人の証言じゃ、証拠になんてならない」
「なる! 長澤さんは人殺しで、千尋くんの自由を奪う犯罪者なんだ」
「あなたこそ、ストーカーのメンヘラ異常者! もう私たちに付きまとわないで!」
――めいちゃん?
「千尋?」
「千尋……くん?」
背後から声がした。千尋だった。アルバイトに出かけたばかり。ここにいるはずがない。
「どう……、して? バイトは?」
「あ……、あぁ、なんか今日、お店が停電しちゃって……、はは、急遽、中止になった」
「一丁目の居酒屋だね! 千尋くんは週四日で、夜の仕事に入っている。夜の方が時給がいーんだよね。一八歳未満なのに、二十一時以降も働いてることは、誰も言わないよ? あたしだけ知ってるの」
ゆず葉は饒舌に語った。千尋の情報はなんでも知りたい。千尋と話せない以上、知ることで欲求を満たしてきた。
「あ、大丈夫だよ。あたしね、高校に探偵会社の息子が居てね、あたしのことが好きだって言うから、仲良くなって、タダで、千尋くんたちのこと調べてもらってたの。この住所もね、それで知ったの」
「ストーカー……! もう私たちに近づかないで」
「えへへー、千尋く~ん! 大丈夫だよ。あの日、あたしのこと助けてくれたみたいにね、今度はあたしが千尋くんを救う王子様になるから! ね!」
「……? めいちゃん? 僕……、わかんない。わかんない」
「千尋、こっちに来て」
「……? うん!」
――ぎゅうう!
千尋は愛依子に駆け寄る。子犬のよう。従順。愛依子に抱きついて、ぎゅっと抱きしめる。恍惚の顔。愛依子は満足げ。
「ちょ、ちょっと……、顔近すぎぃ。キスは……、我慢しなさいぃ」
「え~? なんで~? 好きだったらキスするのは当たり前じゃないの~?」
「ん……、そうだけどぉ……、んもう、仕方ないなぁ」
愛依子と千尋はキスをする。ゆず葉のことは忘れて。二人の世界。濃密なキス。
「じゅる……、ん、ねえ千尋。この子、痛めつけて」
「……痛めつける?」
「ええそう。殴ったり蹴ったりして、ボロボロにして」
「……殴ったり蹴ったり?」
「うん。そう。もう二度と、ここに来られないくらいに、ぐちゃぐちゃにして。特に顔! 二度と治せないくらいに、ぶっ壊して」
「うん。わかった」
「……、お、おろろ……、この展開は……、あたしは予測してなかった。あはは……」
「王子様? ふふふ、千尋はね、私を守ってくれる王子様なんだよ。だからね、あなたはもう敵なの。王子様と敵対する悪なんだよ」
「ぐちゃぐちゃにして……、ぼろぼろにして……」
「ち、千尋くん……、あの、ちょっと……あの」
「千尋は私の命令を聞く従順なお人形だから」
「顔をグチャグチャに……、グチャグチャに……」
「あ~、じゃあ長澤さん。あたし、警察にゆうよ! あの日ね! 実はね……、録音してたんだよ。長澤さんの家に着いてからもずっと! それって結構重大な証拠だよね?」
「千尋! 殺して! 殺せ! その女を殺せ!」
「殺す? ……ぐちゃぐちゃで……、殺す?」
「えへへ……、殺されたくなはないので……、あたしは帰りまーす!」
「待て! 広瀬ゆず葉!」
愛依子は、千尋を追い越す勢いでゆず葉に飛びかかった。
武器はある。スカートに、忍ばせている小さなナイフ。あの日、使った物より少し小さいが、自衛は出来る。
ナイフが側にあると落ち着く。悪夢に勝てる気がする。気休めかもしれない。
だけど本質的に、愛依子は父と母の呪縛から、逃れられていない。
「えへへ~! あたしだって! それくらい……」
ゆず葉もまた、ポケットからナイフを取り出した。愛依子の者より少し大きい果物ナイフ。こうなることを予見していたわけではないが、脅しの道具として武器は必要だった。
「広瀬ゆず葉!」
「長澤愛依子!」
二人はもみ合いになり、ナイフを向け合う。運動不足の愛依子の攻撃は、当たらない。運動神経のいいゆず葉は、軽快にステップを踏む。そして、攻撃をする。愛依子の足や腕を切り刻む。傷跡は小さいが、確実に当てる。
「めいちゃん!」
千尋は、愛依子を守るために、ゆず葉に向かう。
しかし、ゆず葉は逃げない。千尋を受けとめる。
そして千尋はゆず葉を抱きしめた。
身動きを止めるためだ。
ゆず葉は逃げず、千尋に抱きしめられる。恍惚の顔。千尋に抱きしめられたのは、始めて。嬉しい。嬉しかった。
快感で涙を流しながら、右腕で愛依子の足を刺した。
「あぁ……、千尋くん……、千尋くん」