壊れた少女は少年にキスをする
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五年後。十月。ワンルームマンションを出た千尋は、街を歩く。東京都心。マンションの外は繁華街。車が走る。吹きぬける風は、遠くからやってくる。運ばれる匂いは、自然の匂い。花の香り。秋の匂い。
途中出会った広瀬ゆず葉のことはもう忘れている。
バイト先は歩いて一五分程度。十六時過ぎ。夕日が照らす影。賑わう街。
千尋はお店に向かう途中、テナントビルへ入る。五階建て。コンクリート建築。入り口からエレベーターに乗り四階へ。
車内の階案内にはテナントの名前が記載されている。一階は、マッサージ店。二階はラーメン店。三階は予備校。四階は、「三上メンタルクリニック」だ。
四階で降りる。視界には木目と白で統一されたモダンな空間が広がる。
カウンターには受付の女性が一人。二十台中盤の落ち着いた美人だ。
軽く会釈をすると千尋は奥へ進んでいく。
暖簾をくぐり廊下を歩く。辿り着いたドアには、「診察室」と書かれている。
千尋は軽くノックをして中に入る。
「あら、こんばんわ。今日は早いのね。千尋くん」
「あ……、う、はい。……、えっと……、あの」
「なんで? 先生に会いたくなったから?」
「え……、あ、う……、その」
「うふふ。まぁ、なんでもいいわ。座って」
三上琴音(みかみことね)は三〇代前半の精神科医である。以前は大学病院に勤めていたが、数年前に独立。このメンタルクリニックを開業した。
琴音はリクライニングチェアに座っている。白いブラウスに黒いスカート。その上から白衣。
髪色は落ち着いた茶色。柔らかい印象の二重瞼は、若干、シワが見える。フチのないメガネをかけ、ニコリと微笑む。
千尋は言われるがまま、席に着く。席は琴音と少し離れた位置にある。琴音と同じ、リクライニングチェア。
室内は一〇畳ほどの広さ。観葉植物。四段の本棚は千尋よりも大きい。琴音の前にはパソコンデスクとキーボード。モニターが二台。大きな窓にはレースのカーテン。ささやかな光が射し込んでいる。
「千尋くん。どう? 愛依子ちゃんと仲良く出来てるかしら?」
「あ……、はい、うん。たぶん。きっと。ですけど。はい」
「そう。それはいいことね。喧嘩したら先生、困っちゃうもの」
「……? 先生が困るんですか?」
「そうよ。だって二人が仲良しなのが一番、嬉しいからね。先生は、二人の人生のことをよく知ってるから。もう、お母さんみたいなものだもの」
「……はぁ、そうなんですね。うん。はい」
「だめかしら? お母さんなんて言ったら。千尋くんにはちゃんとお母さんがいるわけだし」
「いや……、あ、うん。はい。大丈夫です」
「そう? だったら嬉しいわ。先生、いい歳だけど子供も居ないし……、きみたちを見ていると、なんだかそんな気分になるのよ」
「はぁ……、あぁ、はい。そうなんですね」
「うん。今日からお母さんって呼んでもいいわよ」
「あ、はい」
「え? いいの?」
「……はぁ、え?」
「あはは。千尋くんは素直だねぇ。子供のまま変わってないわね。あのころのままみたい」
「……はぁ、よく、わかりません」
優木千尋は四年前、大きな事件を起こした。長澤愛依子も関っている。愛依子の両親が心中したのである。
琴音は、一四歳だった二人と、その時に出会った。それから、四年の付きあいがある。二人が歩んできた道のりをよく知っている。血と孤独で結ばれた絆について。
五年後。十月。ワンルームマンションを出た千尋は、街を歩く。東京都心。マンションの外は繁華街。車が走る。吹きぬける風は、遠くからやってくる。運ばれる匂いは、自然の匂い。花の香り。秋の匂い。
途中出会った広瀬ゆず葉のことはもう忘れている。
バイト先は歩いて一五分程度。十六時過ぎ。夕日が照らす影。賑わう街。
千尋はお店に向かう途中、テナントビルへ入る。五階建て。コンクリート建築。入り口からエレベーターに乗り四階へ。
車内の階案内にはテナントの名前が記載されている。一階は、マッサージ店。二階はラーメン店。三階は予備校。四階は、「三上メンタルクリニック」だ。
四階で降りる。視界には木目と白で統一されたモダンな空間が広がる。
カウンターには受付の女性が一人。二十台中盤の落ち着いた美人だ。
軽く会釈をすると千尋は奥へ進んでいく。
暖簾をくぐり廊下を歩く。辿り着いたドアには、「診察室」と書かれている。
千尋は軽くノックをして中に入る。
「あら、こんばんわ。今日は早いのね。千尋くん」
「あ……、う、はい。……、えっと……、あの」
「なんで? 先生に会いたくなったから?」
「え……、あ、う……、その」
「うふふ。まぁ、なんでもいいわ。座って」
三上琴音(みかみことね)は三〇代前半の精神科医である。以前は大学病院に勤めていたが、数年前に独立。このメンタルクリニックを開業した。
琴音はリクライニングチェアに座っている。白いブラウスに黒いスカート。その上から白衣。
髪色は落ち着いた茶色。柔らかい印象の二重瞼は、若干、シワが見える。フチのないメガネをかけ、ニコリと微笑む。
千尋は言われるがまま、席に着く。席は琴音と少し離れた位置にある。琴音と同じ、リクライニングチェア。
室内は一〇畳ほどの広さ。観葉植物。四段の本棚は千尋よりも大きい。琴音の前にはパソコンデスクとキーボード。モニターが二台。大きな窓にはレースのカーテン。ささやかな光が射し込んでいる。
「千尋くん。どう? 愛依子ちゃんと仲良く出来てるかしら?」
「あ……、はい、うん。たぶん。きっと。ですけど。はい」
「そう。それはいいことね。喧嘩したら先生、困っちゃうもの」
「……? 先生が困るんですか?」
「そうよ。だって二人が仲良しなのが一番、嬉しいからね。先生は、二人の人生のことをよく知ってるから。もう、お母さんみたいなものだもの」
「……はぁ、そうなんですね。うん。はい」
「だめかしら? お母さんなんて言ったら。千尋くんにはちゃんとお母さんがいるわけだし」
「いや……、あ、うん。はい。大丈夫です」
「そう? だったら嬉しいわ。先生、いい歳だけど子供も居ないし……、きみたちを見ていると、なんだかそんな気分になるのよ」
「はぁ……、あぁ、はい。そうなんですね」
「うん。今日からお母さんって呼んでもいいわよ」
「あ、はい」
「え? いいの?」
「……はぁ、え?」
「あはは。千尋くんは素直だねぇ。子供のまま変わってないわね。あのころのままみたい」
「……はぁ、よく、わかりません」
優木千尋は四年前、大きな事件を起こした。長澤愛依子も関っている。愛依子の両親が心中したのである。
琴音は、一四歳だった二人と、その時に出会った。それから、四年の付きあいがある。二人が歩んできた道のりをよく知っている。血と孤独で結ばれた絆について。