同期ドクターの不埒な純愛ラプソディ。
かけがえのない時間を経て
あれから早いもので三ヶ月が経った。
両親に許してもらえてからというもの、窪塚も私も、結婚に向けてシンガポール行きに向けての準備に追われる日々を送っていた。
そんななかで迎えた独身最後となる私の誕生日の夜。
帝都ホテルのレストランで、綺羅びやかな都会の夜景を眺めながら、窪塚から正式にプロポーズしてもらった。
その時に、素敵な指輪まで贈ってもらい、忘れられない特別な誕生日となった。
それからも以前と変わらず多忙な日々を送っていたけれど、家族や周囲のサポートもあって、順調に進めることもでき、家族とも一日一日を大事に密度の濃い時間を過ごせていたように思う。
父とふたりでドライブに出かけたこともあった。
料理が趣味な父には車好きな一面もあって、父の運転するスポーツカーの窓の外に広がる冬の海岸線を眺めながら色んなことを話した。
終始楽しい時間を過ごしていたけど、時折父が涙ぐむ場面が何度もあって、危うく貰い泣きしそうになるというアクシデントにも見舞われたが、それもいい思い出だ。
母とは一緒にショッピングにでかけたときや、料理をしながら、様々なことを話した。
子供の頃、おてんばで男勝りだった私が、両親が目を離したすきに、曾祖父母と祖母から贈られた、立派な雛壇によじ登ろうとして下敷きになって、大きな音に驚いて駆けつけた両親そろって青ざめたこと。
まだ生まれたばかりの弟の駿の世話を焼きたがって、何をしでかすか心配で、目が離せなかったことなどなど。
話は尽きることはなかった。
幼かったので、すべての出来事を覚えているわけではないが、話の端々からは、両親の愛情がひしひしと伝わってきて、両親の元に生まれてきてよかったと心から思えたし。
両親のためにも目一杯幸せにならなきゃなと改めて思ったりもした。
駿は、いつも通りでなんら変わらなかったようにも思えるが、なんやかんや言いつつも、気遣ってくれていたように思う。
たまに、姉弟喧嘩もしたけれど、シンガポールに行ったら、しばらくは喧嘩もできないと思ったら、ほんの少しだけど寂しい気がする。
窪塚のご両親とも良好な関係を築けていて、年末年始などにお呼ばれしたときには、窪塚の好きなおせち料理等色々教わったりもしたし。
ご両親だけでなく兄夫婦を交えて楽しい時間を過ごすこともできた。
プライベートは申し分ないくらい充実していたけれど、仕事面も負けないくらい充実した日々を送ることができたように思う。