四角い部屋の水槽 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】
 「むしろこの状況は愉しいよ。案外、
こういう店の方がこだわって焼いてる分、
美味しいのかも知れないし。それより、
五十嵐さんは大丈夫?がっつり焼き鳥の
匂いつけて帰ることになりそうだけど」

 赤いタートルのニットに、緩く巻いた
髪を垂らしている彼女を見やる。いつも
と変わらず、綺麗に化粧を施された顔が、
薄い煙の向こうに見える。

 「ニットは諦めてクリーニングに出す
しかないわね。帰りの車内は、似たよう
な匂いをさせてる乗客がたくさんいる
だろうから気にしない。それより、何
注文する?私は焼き鳥の4本盛りと、
クリームチーズ豆腐のクラッカー添え
頼みたいんだけど。4本盛りは今の
時期だけ440円引きだって」

 「それいいね。レバーもネギマもタレ
が旨そうだ。あとはよだれ鳥と、大根
と雑魚のサラダも頼もうか?」

 俺は彼女と顔を突き合わせながら、
適当に何品か見つくろった。そして、
テーブルの隅にあるタッチパネル式の
端末でオーダーを済ませた。

 テーブル席からセルフで注文できる
この形式は、最近よく見かけるように
なったが、こういった個人経営の店で
は珍しく感じる。店内はそれほど広く
はないし、これがあれば平日は店主
一人で回せるのかも知れない。人件
費を考えれば、端末の設備投資くらい
安いものなのだろう。

 つい、飲食業の視点からそんなこと
を考えて店内を見渡していると、不意
に彼女がくすりと笑った。

 「滝田くん、今、仕事モード入って
るでしょう?」
 
「ちょっとね。こういう小さな店でも、
人件費削減に力入れてるんだなと思っ
てさ。雇ったバイトを教育する手間も
ないし、これからはどんどんこういう
スタイルが主流になっていくだろうな」

 視線を彼女に戻し、俺は苦笑いした。

 職場では一年先輩となる彼女は、実は
大学院卒の俺から見ると、一つ年下と
なる。そのことを知ってか、知らでか、

 「社外で会うときはお互い、※(かみしも)を脱ぎ
ましょう」

 と、初めて二人で飲みに行った日に
そう言われたこともあり、俺はこうし
て彼女と気軽に話すようになっていた。

 「お待たせしました」

 中ジョッキとライムサワーをトレーに
載せた女性店員がテーブルの横に立つ。

 「塩だれキャベツはお代わり自由です」

 そう言って、飲み物と共にテーブルの
真ん中に白いボールに盛られたキャベツ
を置く。

 ぺこりと頭を下げて店員がそそくさと
去ってゆく。

 その背中を見送ると、「お代わり自由
だって!」、と嬉しそうにお通し代わり
のそれを見やりながら、彼女は微笑んだ。



 俺はその笑みに目を細め「乾杯」と
ジョッキを彼女にかざした。彼女も
サワーを手に取り、「乾杯」とグラス
を合わせる。注文した焼き鳥が届いた
のは、それからまもなくで、俺たちは
ほどよく焦げた焼き鳥を手に、他愛も
ない話を始めたのだった。

 「そう言えばさ、この間、久しぶりに
実家帰ったんだけど、親父が趣味で始め
た、アクアリウムっていうのかな?
熱帯魚の水槽がエライことになってた」



※堅苦しい態度をやめ、打ち解ける
こと。
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