四角い部屋の水槽 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】
「まあね。経理も総務もピリピリしてる。
榊専務のように仕事が出来る人なら我慢も
出来るんだろうけど、尊敬できない人にあ
れこれ言われるとちょっと癪に障るのよね。
この間ね、折原さんと憂さ晴らしにご褒美
ランチしてきたの。榊専務、どこで何して
るんだろうね?ってボヤきながら二人で
デザートプレート追加しちゃった」
そう言って覗き込むように彼女が俺を
見る。
俺は「折原」と「榊」の名の両方にどき
りとしながら、「へぇ」と声を漏らした。
「折原さん、まだ“彼”のこと忘れられな
いみたい。もう一年も経つのに、未だに思
い出して辛くなる、って……そう言ってた」
何もかもを知っている筈の彼女が、素知
らぬ顔でそう言って俺の顔色を窺う。
俺は彼女が何を言わんとしているのか?
否、彼女がどんな言葉を俺に求めているの
か?真意を探るようにじっと見つめ返すと、
僅かに目を伏せた。
「そう、だろうな。あんな風に、突然
好きな人がいなくなったりしたらやり切れ
ないと思うし、なかなか気持ちの整理もつ
けられないと思う。それに、一年も経つ
って言うけど、一年って案外短いもんだよ。
毎日忙しくしてると知らないうちに時間だ
けが過ぎてて『ああ、もうそんなに経つ
のか』って、俺もつい最近そう感じたし。
だから、時間は関係ないんじゃないかと、
思う。前に進もうと思えるきっかけがある
か、ないか。その人を好きでいる時間を、
無駄だと思うか、思わないか。彼女はきっ
と、後者なんだろうな。このまま放って
おいたら、お婆ちゃんになるまであの人を
好きでいる気がするよ」
最後の方は独り言のようにそう言って、
彼女の顔を思い出す。“ありがとうね”と、
俺に笑みを向けた彼女の心は、やはり、
榊一久、その人に縛られていて、なのに、
どこか幸せそうだった。
そんなことを考えながら、メニューの上
に視線を彷徨わせていた俺の手の甲を、撫
でるように包む温もりがあった。
はっとして視線を上げれば、傷ついたよ
うな瞳をした彼女が、じっと自分を見つめ
ている。
「滝田くんは、どうなの?私は……滝田
くんが前に進もうと思うきっかけには、
なれないかな?」
その声は、今まで聞いたことのないもの
だった。そして、そう言った彼女の瞳には、
戸惑いに表情を止めた俺の顔が小さく映り
込んでいる。
「……五十嵐さん」
何を、どう答えるべきか?
瞬間、言葉が見つからず言い淀んだ俺に、
彼女がなおも口を開く。朱く、艶やかな唇
がスローモーションのように動いて見えた。
「私が、忘れさせてあげようか?滝田く
んさえよければ……私が慰めてあげる。
明日も休みだし。だから……」
-----その言葉に、正直、ぐらりときた。
どくどくと鼓動が騒ぎ出して、身体の芯
が熱くなるのがわかる。それくらい、彼女
の色香も、美しさも、男を惑わせるものが
あったし、今までその色香に気付かずにい
た自分が不思議なくらいだった。
榊専務のように仕事が出来る人なら我慢も
出来るんだろうけど、尊敬できない人にあ
れこれ言われるとちょっと癪に障るのよね。
この間ね、折原さんと憂さ晴らしにご褒美
ランチしてきたの。榊専務、どこで何して
るんだろうね?ってボヤきながら二人で
デザートプレート追加しちゃった」
そう言って覗き込むように彼女が俺を
見る。
俺は「折原」と「榊」の名の両方にどき
りとしながら、「へぇ」と声を漏らした。
「折原さん、まだ“彼”のこと忘れられな
いみたい。もう一年も経つのに、未だに思
い出して辛くなる、って……そう言ってた」
何もかもを知っている筈の彼女が、素知
らぬ顔でそう言って俺の顔色を窺う。
俺は彼女が何を言わんとしているのか?
否、彼女がどんな言葉を俺に求めているの
か?真意を探るようにじっと見つめ返すと、
僅かに目を伏せた。
「そう、だろうな。あんな風に、突然
好きな人がいなくなったりしたらやり切れ
ないと思うし、なかなか気持ちの整理もつ
けられないと思う。それに、一年も経つ
って言うけど、一年って案外短いもんだよ。
毎日忙しくしてると知らないうちに時間だ
けが過ぎてて『ああ、もうそんなに経つ
のか』って、俺もつい最近そう感じたし。
だから、時間は関係ないんじゃないかと、
思う。前に進もうと思えるきっかけがある
か、ないか。その人を好きでいる時間を、
無駄だと思うか、思わないか。彼女はきっ
と、後者なんだろうな。このまま放って
おいたら、お婆ちゃんになるまであの人を
好きでいる気がするよ」
最後の方は独り言のようにそう言って、
彼女の顔を思い出す。“ありがとうね”と、
俺に笑みを向けた彼女の心は、やはり、
榊一久、その人に縛られていて、なのに、
どこか幸せそうだった。
そんなことを考えながら、メニューの上
に視線を彷徨わせていた俺の手の甲を、撫
でるように包む温もりがあった。
はっとして視線を上げれば、傷ついたよ
うな瞳をした彼女が、じっと自分を見つめ
ている。
「滝田くんは、どうなの?私は……滝田
くんが前に進もうと思うきっかけには、
なれないかな?」
その声は、今まで聞いたことのないもの
だった。そして、そう言った彼女の瞳には、
戸惑いに表情を止めた俺の顔が小さく映り
込んでいる。
「……五十嵐さん」
何を、どう答えるべきか?
瞬間、言葉が見つからず言い淀んだ俺に、
彼女がなおも口を開く。朱く、艶やかな唇
がスローモーションのように動いて見えた。
「私が、忘れさせてあげようか?滝田く
んさえよければ……私が慰めてあげる。
明日も休みだし。だから……」
-----その言葉に、正直、ぐらりときた。
どくどくと鼓動が騒ぎ出して、身体の芯
が熱くなるのがわかる。それくらい、彼女
の色香も、美しさも、男を惑わせるものが
あったし、今までその色香に気付かずにい
た自分が不思議なくらいだった。