僕惚れ①『つべこべ言わずに僕に惚れろよ』
 実は昨日、葵咲(きさき)ちゃんから僕の退院に付き添いたい旨の打診があった。僕はそれに対して一も二もなくOKを出したのだ。

 現在スマホがない僕は、苦肉の策でかかってくるものに関しては病院に電話してもらって取り次いでもらうようにしていた。逆に、僕から連絡する場合は公衆電話から。

 携帯がないのはこんなに不便だったのかと、たった数日なのに身につまされる思いだった。

 葵咲ちゃんへの連絡ひとつ取っても不便きわまりない。

 昨日、葵咲ちゃんには「十一時頃には出られるみたいだからそのくらいに」と答えていたんだけど、僕は学園長の訪問後、公衆電話から彼女に電話をかける羽目になった。

 事情を話して「ごめんね。そんなことで、今日はゆっくりできそうにないんだ」と謝ってから、「だから今日は無理してこなくても大丈夫だよ」と付け加える。

 が、彼女はそれでも行く、と言って聞かなくて。

 退院予定時刻より一時間ばかり早い十時過ぎには彼女は僕の病室にやって来て「家まで意地でも付き添う」と譲らなかった。

 それでも二人で乗り込んだタクシーの中でも、何なら僕のアパートについてからも、彼女は始終ムスッとして無言のままで。

 移動中の車内でどうにかこうにか二言三言交わした言葉から察するに、葵咲ちゃんは僕に無理をさせようとする学園長に強い憤りを覚えているらしい。
 そして、そんな無茶苦茶な申し出に、文句ひとつ言わずに従う僕にも。

 唇をへの字にして壁を作る彼女に、僕も何となく声がかけづらくて。
 折角会えたというのに何の進展もないままにさよならしてしまった。

 後から思うと、その時の意気地のない自分の態度は、本当にバカだったな、と後悔することになる。
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