私を抱かないと新曲ができないって本当ですか?~イケメン作曲家との契約の恋人生活は甘い~
メロンパン
藤崎さんを待たせる訳にはいかないと思って、早めに来たのに、彼はもう来ていた。
恵比寿駅の改札を出たところすぐの駅ビルの入り口が待ち合わせ場所だった。藤崎さんから直前にメッセージが送られてきていたからわかりやすかった。
多くの人が行きかい、待ち合わせをしている人も多い。しかも、恵比寿はほかの街よりどこかオシャレな人が多い気がする。
その中で丸い柱にもたれてスマホを弄ってるだけなのに、藤崎さんは異彩を放っていて、そのままファッション誌の表紙を飾れそうなくらいキマっていた。ただのTシャツにブラックジーンズ、胸もとにシルバーアクセサリーを下げてるだけなのに。
さすがに、黒縁の伊達眼鏡にキャップを深めにかぶっていたけど、それはそれで格好良さが増して、人目を引いている。
(かっっっこいい!)
私のファン心が大騒ぎする。それと同時に、冷静な私はこれはやばいと焦る。
「お待たせしました!」
私が駆け寄ると、藤崎さんはスマホをしまい、ニコリと微笑んだ。
キャアー!
女の子たちの黄色い悲鳴のような声が聞こえた。
(わかる! その気持ち! やっぱりかっこいいよね、藤崎東吾は!)
どういう関係?というような視線が突き刺さる。それをひしひしと感じて同意する。
わかるわ。全然つり合ってないよね。
私だって、藤崎さんのそばにいるのが不思議だもん。
「目立ちまくってますから、とりあえず、ここを離れましょう」
私は少しでも人目を避けたいと、藤崎さんの腕をぐいぐい引っ張っていった。
藤崎さんはのんびりと私に従いながら、おかしそうに笑って、逆方向を指さす。
「どこにいくの? 僕はあっちのパン屋に行きたいんだけど」
「じゃあ、そっちに行きましょう」
私は顔をほてらせながら、方向転換をする。
なにげなく藤崎さんが手を繋いでくる。指を絡める、いわゆる恋人繋ぎだ。
「ちょ、ちょっと! ダメですよ。こんな人が多いところで」
「いいじゃん。別に」
「大体なんで手を繋ぐんですか!」
「君の反応がおもしろいから」
「なるほど、いじわるなんですね……」
私が睨むと、藤崎さんは慌てて言い直した。
「いやいや、いじわるじゃなくて、僕が繋ぎたいから。恋人として」
(契約の、ね!)
「……おもしろいからでしょ?」
「いや、君がかわいいから」
「からかってますよね?」
なにを言われても遊ばれてるようにしか思えない。
契約の恋人って、そんな役目もあるんですかと聞きたい。
私は藤崎さんの手から自分のものを引き抜いて、宣言した。
「手を繋ぐの禁止です!」
「えー、じゃあ、腰を抱こうかな」
「もっとダメです! 普通に歩いてください!」
そんなことを言いながら歩いていると、お目当てのパン屋に着いたらしい。
白レンガの壁にこげ茶のドアや窓枠がシックなお店だった。
そこは人気店らしく、店の外に十人ぐらいの行列ができていた。
そこの最後尾に並ぶとチラチラと見られたけど、藤崎さんは慣れてるからか、まったく構う様子はない。
「藤崎さんでも、こういうところに並ぶんですねー」
「たまにね。前にここのパンをもらって美味しかったから、それ以来かな。君にも食べさせてあげようと思って。パン好きじゃなかったっけ?」
「よく覚えてますね」
なにかの際に世間話で話した覚えはあるけど、藤崎さんがそれをわざわざ覚えててくれているとは思わなかった。
とくんと鼓動が跳ねる。
(もう! こういうところがずるいんだから……)
「ここは希の好きなメロンパンが美味しいんだ。あ、でも、変わってるから好みかどうかはわからないけど」
(私、メロンパンが好きなことまで藤崎さんにしゃべってたんだ……)
確かに、気のない藤崎さんを相手に一方的に話し続けてた時期があった。
その時の記憶かな? ちょっと恥ずかしい。
「変わってるんですか?」
「うん。なんて言うか、メロンパンの中のフワフワの部分が少なくて、かわりにバターみたいなのが入ってるんだ。焼き立てが美味しいよ。ほら、ちょうど焼き上がりの時間だ」
この列は、そのメロンパンの焼き上がり時間を待ってる客だった。
それに合わせて、待ち合わせの時間を決めてくれてたみたいだ。
列がどんどん進んでいく。
思ったより早く店内に入れて、トレーとトングを持って、メロンパンを二個ゲットした。
そのほかにも総菜パンやフルーツの乗ったデニッシュ、サンドイッチなどがしゃれたプレートを付けておいしそうに並べてある。
焼きあがったパンの匂いが食欲を刺激する。
「他はこれとこれがオススメだけど、他に気になるのある?」
「このチョコとナッツのパンかな」
「甘そうだね」
藤崎さんはヒョイヒョイとトレーにパンを載せていって、会計に向かう。
「そんなに買って、大丈夫ですか?」
「明日も食べるし、残ったら冷凍すればいいし」
「明日……?」
私が聞き返すと、藤崎さんはなにか言いたげにこちらを見たけど、会計を済ませて、外に出た。
「ハァ……、君は本当につれないね……」
店の外に出るなり、深い溜め息と共に、藤崎さんはそう言った。
眉をひそめて、私を流し見る。
そんなしぐさも色っぽい藤崎さんをきょとんと見上げた。
「え?」
「なんで夕方待ち合わせで、帰る想定してるのかな……。そうかなとは思ってたけど、着替えとか持ってないよね?」
「だって……」
「買いに行くよ」
「え、ちょっと!」
藤崎さんは私の手を取ると、元の道をどんどん戻って、駅ビルに入った。
相変わらず、強引だ。
店を見回した彼は私を一つのお店に連れていった。
「じゃあ、選んで?」
唐突に言われて、展開についていけてない私は戸惑った。
そこはフェミニンなラインナップの服屋さんだった。
キョロキョロするだけの私に焦れて、藤崎さんは目の前にかかっていたワンピースを手に取り、私にあてた。
「これなんていいんじゃない?」
見ると、小花が散った生地に袖口とウエストにピンク赤をあしらったワンピースだった。好みでかわいかったけど、どうして藤崎さんが私の服を選んでいるのか、意味がわからなかった。
(どういうこと?)
「決めてくれないなら、ここからここ全部買うよ?」
ぼんやりしていたら、ちょっとイラついた声で、催促される。
そんなことを言われても……と藤崎さんとワンピースを交互に見る。
(なんで藤崎さんに服を買うよう強要されてるんだろう?)
でも、不機嫌に眉をしかめる彼に聞く勇気はなかった。
「じゃあ、それにします」
「サイズも大丈夫?」
そう聞かれて、ワンピースについているタグを確認してうなずくけど、同時に値段が目に入って、顔が引きつる。普段買う服の三倍近い値段だった。
「やっぱり……」
こんな高いワンピースは買えないと言いかけたのに、藤崎さんはワンピースをレジへ持っていってしまった。
財布を出すのを見て、慌てて止める。
「ちょっと待ってください! なんで藤崎さんが私の服を買うんですか?」
「明日の着替えがないだろ?」
「でも……」
「裸で過ごすというなら大歓迎だけど?」
「嫌です!」
「じゃあ、買うよ?」
「それなら自分で……」
「そういうのはいいから」
藤崎さんはカードを出して、さっさと会計を済ませてしまう。
そして、ショッパーと私の手を持つと店を出て、案内図を見た。
(今度はなんのお店を探してるんだろう?)
そう思った私の視線に気づいて、藤崎さんがにやっとした。
「下着も買うから。それとも下着なしがいい?」
「っ!」
平然と恥ずかしいことを連発して、藤崎さんは今度はランジェリーショップに私を連れて行く。
ブラジャーとショーツのセットがずらっと並び、店頭のトルソーにはいかにも勝負下着といったひらひらレースのブラとショーツが着せられていた。
「ちょっと! 藤崎さんがこんなところにいたらダメでしょう!」
(ランジェリーショップに藤崎さんがいるなんて!)
ファンとして、複雑な気分だ。
藤崎さんもさすがに落ち着かない様子で、ちょっと耳が赤い。
「そう思うなら、さっさと選んで。それなりに恥ずかしい」
「恥ずかしいなら、来なければいいのに」
「でも、君は買ってこいって言っても、買わないだろ?」
「そりゃ……」
「早くしないと、あのお姉さんに君の胸のサイズを説明して選んでもらうよ?」
「やめてください!」
どうやってサイズを説明するつもりよ!
天下の藤崎東吾にそんな恥ずかしいことをさせるわけにはいかないと、私は急いで手近な白のブラとショーツのセットを手に取った。
「これ! これを買ってきます!」
今度は会計されないように自分でレジに持っていった。
なのに藤崎さんは「支払いはこれで」とお店の人にカードを渡してしまう。
「もー!」
ぷんぷんして彼に抗議しようとしたら、お店の人が興味深そうに私達のやり取りを見ているのに気づき、ひそひそ声で藤崎さんを諌める。
「藤崎さんのイメージが崩れちゃいますよ?」
「そんな大層なイメージなんてないからいいよ」
「あるに決まってるじゃないですか! 全国の藤崎ファンが泣きますよ?」
「見えないファンより、目の前の君の方が大事かな」
「…………っ!」
大事って……。赤くなりかけて、いやいやとかぶりを振る。
甘い言葉に騙されるところだった。
下着を買うのが大事って、どうよ?
私の表情の変化を見ていた藤崎さんが笑った。
「ごまかされなかったか」
「もう~!」
からかわれてふくれている私の背中を押して、「帰ろう」と店を出る。
駅ビルから出て、使ったことのない階段に誘導されて、そこを下りると外に出た。
攻防を繰り返したあと結局、手をつながれて、藤崎さんの家に向かった。
途中、「あ、化粧品とかいるんじゃないの?」と、藤崎さんがまた駅ビルに引き返そうとするので、慌てて「ドラッグストアでいいです」と言うと、「それならこっち」と手を引かれる。
ファンデーションやチークなどを買ってもらうと、また広い道路の歩道を歩き始める。
「ちゃんと一人で来られるように道を覚えてね」
そう言われて、目印になるものを覚えようとしたけど、意外にも普通の住居が立ち並ぶだけで特に変わったものはない。らせん状になった階段の辺りから方向を見失い、寄り道もしたので、すでに自信がなかった。
自慢じゃないけど、私は地図が読めない女なのだ。
いざとなったらスマホに聞けばいいし。
それでも迷う自信はあるけど。
私は覚えるのを放棄した。
その気配を感じたのか、「希って方向音痴なの?」と聞かれた。
「まぁ、はい。恵比寿って滅多に来ないし、駅ビルの外に出たのも初めてですし」
「この道は駅からひたすら真っ直ぐだよ?」
「そうなんですか? ドラッグストアに寄ったからわからなくなって」
「なるほど、相当方向音痴だね。気をつけることにするよ」
そんなことを言いつつ歩いていくと十分もいかないうちに、藤崎さんの家が見えた。
特徴的な形だから、すぐわかった。
歩いてきた道を振り返る。
遠くにさっきの駅ビルが見える。
「あ、本当にわかりやすい! 駅からこの道をまっすぐですね」
「そう、わかりやすいでしょ?」
藤崎さんはおかしそうに微笑んだ。
(っていうか、こんな一等地に持ち家って、どんだけお金持ちなの! やっぱり世界が違うわ……)
普通のサラリーマン家庭に育った私とはきっと感覚からして違う。
当たり前のことなのに、なぜか打ちひしがれてしまう。
そんな私に気づかず、藤崎さんは玄関を入るなり、「希……」と呼んで、キスをした。
その甘い声に唇に、心が囚われそうになる。
だんだんキスが深くなっていくから、ジタバタ暴れて、「ちょ、んっ……藤崎、さん!……メロンパン!」とさわいだ。
すると、藤崎さんは唇を離して、「ハァァァ~」と深い溜め息をついた。
「はいはい。僕はメロンパンより優先順位が低いんだね」
藤崎さんが拗ねた顔で私を見る。
(……かわいい。そんな顔、初めて見た)
藤崎さんは大人の男の人って感じで、いつも余裕あるように見えていたから、そんな子どもっぽい顔が新鮮だった。
「だって、焼き立てがおいしいって言ってたから……」
もう焼き立てでもないだろうけど、ずっと気になってたんだ。
藤崎さんが私に食べさせたいと思ってくれたメロンパンのことが。
言い訳をすると、また藤崎さんは溜め息をついた。
「しまったなぁ。買って来なければよかった」
藤崎さんはブツブツ言いながらも、メロンパンをウェッジウッドのお皿に乗せ、アイスコーヒーも添えて、ソファーの前のローテーブルに出してくれた。
「わぁ、食べていいですか?」
「どうぞ?」
「いただきます!」
早速メロンパンを頬張った。
サクッとして、ジュワーと中のバターが口に広がる。
まだほんのり温かかった。
「おいしい! こんなの食べたことないです!」
「でしょ?」
私の隣に座った藤崎さんが得意げになり機嫌を治して、目を細めた。そして、自分の分を取り上げ、大きな口でかぶりつく。
小ぶりで軽い食感のメロンパンなので、二人ともあっという間に食べてしまった。
感激のおいしさだった。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです! ありがとうございました」
手を合わせて、お礼を言うと、藤崎さんの胸に引き寄せられて、「じゃあ、今度は僕が希を食べる番」と耳もとでささやかれた。
ぞくんと身体が反応する。
私は本当に藤崎さんの声に弱い。
「ダメです! 汗くさいから、シャワーを浴びたいです」
「いいよ。それを含めて味わいたいから」
「変態ちっくですよ!」
「そんなこと、初めて言われた」
目を丸くした藤崎さんが吹き出した。
恵比寿駅の改札を出たところすぐの駅ビルの入り口が待ち合わせ場所だった。藤崎さんから直前にメッセージが送られてきていたからわかりやすかった。
多くの人が行きかい、待ち合わせをしている人も多い。しかも、恵比寿はほかの街よりどこかオシャレな人が多い気がする。
その中で丸い柱にもたれてスマホを弄ってるだけなのに、藤崎さんは異彩を放っていて、そのままファッション誌の表紙を飾れそうなくらいキマっていた。ただのTシャツにブラックジーンズ、胸もとにシルバーアクセサリーを下げてるだけなのに。
さすがに、黒縁の伊達眼鏡にキャップを深めにかぶっていたけど、それはそれで格好良さが増して、人目を引いている。
(かっっっこいい!)
私のファン心が大騒ぎする。それと同時に、冷静な私はこれはやばいと焦る。
「お待たせしました!」
私が駆け寄ると、藤崎さんはスマホをしまい、ニコリと微笑んだ。
キャアー!
女の子たちの黄色い悲鳴のような声が聞こえた。
(わかる! その気持ち! やっぱりかっこいいよね、藤崎東吾は!)
どういう関係?というような視線が突き刺さる。それをひしひしと感じて同意する。
わかるわ。全然つり合ってないよね。
私だって、藤崎さんのそばにいるのが不思議だもん。
「目立ちまくってますから、とりあえず、ここを離れましょう」
私は少しでも人目を避けたいと、藤崎さんの腕をぐいぐい引っ張っていった。
藤崎さんはのんびりと私に従いながら、おかしそうに笑って、逆方向を指さす。
「どこにいくの? 僕はあっちのパン屋に行きたいんだけど」
「じゃあ、そっちに行きましょう」
私は顔をほてらせながら、方向転換をする。
なにげなく藤崎さんが手を繋いでくる。指を絡める、いわゆる恋人繋ぎだ。
「ちょ、ちょっと! ダメですよ。こんな人が多いところで」
「いいじゃん。別に」
「大体なんで手を繋ぐんですか!」
「君の反応がおもしろいから」
「なるほど、いじわるなんですね……」
私が睨むと、藤崎さんは慌てて言い直した。
「いやいや、いじわるじゃなくて、僕が繋ぎたいから。恋人として」
(契約の、ね!)
「……おもしろいからでしょ?」
「いや、君がかわいいから」
「からかってますよね?」
なにを言われても遊ばれてるようにしか思えない。
契約の恋人って、そんな役目もあるんですかと聞きたい。
私は藤崎さんの手から自分のものを引き抜いて、宣言した。
「手を繋ぐの禁止です!」
「えー、じゃあ、腰を抱こうかな」
「もっとダメです! 普通に歩いてください!」
そんなことを言いながら歩いていると、お目当てのパン屋に着いたらしい。
白レンガの壁にこげ茶のドアや窓枠がシックなお店だった。
そこは人気店らしく、店の外に十人ぐらいの行列ができていた。
そこの最後尾に並ぶとチラチラと見られたけど、藤崎さんは慣れてるからか、まったく構う様子はない。
「藤崎さんでも、こういうところに並ぶんですねー」
「たまにね。前にここのパンをもらって美味しかったから、それ以来かな。君にも食べさせてあげようと思って。パン好きじゃなかったっけ?」
「よく覚えてますね」
なにかの際に世間話で話した覚えはあるけど、藤崎さんがそれをわざわざ覚えててくれているとは思わなかった。
とくんと鼓動が跳ねる。
(もう! こういうところがずるいんだから……)
「ここは希の好きなメロンパンが美味しいんだ。あ、でも、変わってるから好みかどうかはわからないけど」
(私、メロンパンが好きなことまで藤崎さんにしゃべってたんだ……)
確かに、気のない藤崎さんを相手に一方的に話し続けてた時期があった。
その時の記憶かな? ちょっと恥ずかしい。
「変わってるんですか?」
「うん。なんて言うか、メロンパンの中のフワフワの部分が少なくて、かわりにバターみたいなのが入ってるんだ。焼き立てが美味しいよ。ほら、ちょうど焼き上がりの時間だ」
この列は、そのメロンパンの焼き上がり時間を待ってる客だった。
それに合わせて、待ち合わせの時間を決めてくれてたみたいだ。
列がどんどん進んでいく。
思ったより早く店内に入れて、トレーとトングを持って、メロンパンを二個ゲットした。
そのほかにも総菜パンやフルーツの乗ったデニッシュ、サンドイッチなどがしゃれたプレートを付けておいしそうに並べてある。
焼きあがったパンの匂いが食欲を刺激する。
「他はこれとこれがオススメだけど、他に気になるのある?」
「このチョコとナッツのパンかな」
「甘そうだね」
藤崎さんはヒョイヒョイとトレーにパンを載せていって、会計に向かう。
「そんなに買って、大丈夫ですか?」
「明日も食べるし、残ったら冷凍すればいいし」
「明日……?」
私が聞き返すと、藤崎さんはなにか言いたげにこちらを見たけど、会計を済ませて、外に出た。
「ハァ……、君は本当につれないね……」
店の外に出るなり、深い溜め息と共に、藤崎さんはそう言った。
眉をひそめて、私を流し見る。
そんなしぐさも色っぽい藤崎さんをきょとんと見上げた。
「え?」
「なんで夕方待ち合わせで、帰る想定してるのかな……。そうかなとは思ってたけど、着替えとか持ってないよね?」
「だって……」
「買いに行くよ」
「え、ちょっと!」
藤崎さんは私の手を取ると、元の道をどんどん戻って、駅ビルに入った。
相変わらず、強引だ。
店を見回した彼は私を一つのお店に連れていった。
「じゃあ、選んで?」
唐突に言われて、展開についていけてない私は戸惑った。
そこはフェミニンなラインナップの服屋さんだった。
キョロキョロするだけの私に焦れて、藤崎さんは目の前にかかっていたワンピースを手に取り、私にあてた。
「これなんていいんじゃない?」
見ると、小花が散った生地に袖口とウエストにピンク赤をあしらったワンピースだった。好みでかわいかったけど、どうして藤崎さんが私の服を選んでいるのか、意味がわからなかった。
(どういうこと?)
「決めてくれないなら、ここからここ全部買うよ?」
ぼんやりしていたら、ちょっとイラついた声で、催促される。
そんなことを言われても……と藤崎さんとワンピースを交互に見る。
(なんで藤崎さんに服を買うよう強要されてるんだろう?)
でも、不機嫌に眉をしかめる彼に聞く勇気はなかった。
「じゃあ、それにします」
「サイズも大丈夫?」
そう聞かれて、ワンピースについているタグを確認してうなずくけど、同時に値段が目に入って、顔が引きつる。普段買う服の三倍近い値段だった。
「やっぱり……」
こんな高いワンピースは買えないと言いかけたのに、藤崎さんはワンピースをレジへ持っていってしまった。
財布を出すのを見て、慌てて止める。
「ちょっと待ってください! なんで藤崎さんが私の服を買うんですか?」
「明日の着替えがないだろ?」
「でも……」
「裸で過ごすというなら大歓迎だけど?」
「嫌です!」
「じゃあ、買うよ?」
「それなら自分で……」
「そういうのはいいから」
藤崎さんはカードを出して、さっさと会計を済ませてしまう。
そして、ショッパーと私の手を持つと店を出て、案内図を見た。
(今度はなんのお店を探してるんだろう?)
そう思った私の視線に気づいて、藤崎さんがにやっとした。
「下着も買うから。それとも下着なしがいい?」
「っ!」
平然と恥ずかしいことを連発して、藤崎さんは今度はランジェリーショップに私を連れて行く。
ブラジャーとショーツのセットがずらっと並び、店頭のトルソーにはいかにも勝負下着といったひらひらレースのブラとショーツが着せられていた。
「ちょっと! 藤崎さんがこんなところにいたらダメでしょう!」
(ランジェリーショップに藤崎さんがいるなんて!)
ファンとして、複雑な気分だ。
藤崎さんもさすがに落ち着かない様子で、ちょっと耳が赤い。
「そう思うなら、さっさと選んで。それなりに恥ずかしい」
「恥ずかしいなら、来なければいいのに」
「でも、君は買ってこいって言っても、買わないだろ?」
「そりゃ……」
「早くしないと、あのお姉さんに君の胸のサイズを説明して選んでもらうよ?」
「やめてください!」
どうやってサイズを説明するつもりよ!
天下の藤崎東吾にそんな恥ずかしいことをさせるわけにはいかないと、私は急いで手近な白のブラとショーツのセットを手に取った。
「これ! これを買ってきます!」
今度は会計されないように自分でレジに持っていった。
なのに藤崎さんは「支払いはこれで」とお店の人にカードを渡してしまう。
「もー!」
ぷんぷんして彼に抗議しようとしたら、お店の人が興味深そうに私達のやり取りを見ているのに気づき、ひそひそ声で藤崎さんを諌める。
「藤崎さんのイメージが崩れちゃいますよ?」
「そんな大層なイメージなんてないからいいよ」
「あるに決まってるじゃないですか! 全国の藤崎ファンが泣きますよ?」
「見えないファンより、目の前の君の方が大事かな」
「…………っ!」
大事って……。赤くなりかけて、いやいやとかぶりを振る。
甘い言葉に騙されるところだった。
下着を買うのが大事って、どうよ?
私の表情の変化を見ていた藤崎さんが笑った。
「ごまかされなかったか」
「もう~!」
からかわれてふくれている私の背中を押して、「帰ろう」と店を出る。
駅ビルから出て、使ったことのない階段に誘導されて、そこを下りると外に出た。
攻防を繰り返したあと結局、手をつながれて、藤崎さんの家に向かった。
途中、「あ、化粧品とかいるんじゃないの?」と、藤崎さんがまた駅ビルに引き返そうとするので、慌てて「ドラッグストアでいいです」と言うと、「それならこっち」と手を引かれる。
ファンデーションやチークなどを買ってもらうと、また広い道路の歩道を歩き始める。
「ちゃんと一人で来られるように道を覚えてね」
そう言われて、目印になるものを覚えようとしたけど、意外にも普通の住居が立ち並ぶだけで特に変わったものはない。らせん状になった階段の辺りから方向を見失い、寄り道もしたので、すでに自信がなかった。
自慢じゃないけど、私は地図が読めない女なのだ。
いざとなったらスマホに聞けばいいし。
それでも迷う自信はあるけど。
私は覚えるのを放棄した。
その気配を感じたのか、「希って方向音痴なの?」と聞かれた。
「まぁ、はい。恵比寿って滅多に来ないし、駅ビルの外に出たのも初めてですし」
「この道は駅からひたすら真っ直ぐだよ?」
「そうなんですか? ドラッグストアに寄ったからわからなくなって」
「なるほど、相当方向音痴だね。気をつけることにするよ」
そんなことを言いつつ歩いていくと十分もいかないうちに、藤崎さんの家が見えた。
特徴的な形だから、すぐわかった。
歩いてきた道を振り返る。
遠くにさっきの駅ビルが見える。
「あ、本当にわかりやすい! 駅からこの道をまっすぐですね」
「そう、わかりやすいでしょ?」
藤崎さんはおかしそうに微笑んだ。
(っていうか、こんな一等地に持ち家って、どんだけお金持ちなの! やっぱり世界が違うわ……)
普通のサラリーマン家庭に育った私とはきっと感覚からして違う。
当たり前のことなのに、なぜか打ちひしがれてしまう。
そんな私に気づかず、藤崎さんは玄関を入るなり、「希……」と呼んで、キスをした。
その甘い声に唇に、心が囚われそうになる。
だんだんキスが深くなっていくから、ジタバタ暴れて、「ちょ、んっ……藤崎、さん!……メロンパン!」とさわいだ。
すると、藤崎さんは唇を離して、「ハァァァ~」と深い溜め息をついた。
「はいはい。僕はメロンパンより優先順位が低いんだね」
藤崎さんが拗ねた顔で私を見る。
(……かわいい。そんな顔、初めて見た)
藤崎さんは大人の男の人って感じで、いつも余裕あるように見えていたから、そんな子どもっぽい顔が新鮮だった。
「だって、焼き立てがおいしいって言ってたから……」
もう焼き立てでもないだろうけど、ずっと気になってたんだ。
藤崎さんが私に食べさせたいと思ってくれたメロンパンのことが。
言い訳をすると、また藤崎さんは溜め息をついた。
「しまったなぁ。買って来なければよかった」
藤崎さんはブツブツ言いながらも、メロンパンをウェッジウッドのお皿に乗せ、アイスコーヒーも添えて、ソファーの前のローテーブルに出してくれた。
「わぁ、食べていいですか?」
「どうぞ?」
「いただきます!」
早速メロンパンを頬張った。
サクッとして、ジュワーと中のバターが口に広がる。
まだほんのり温かかった。
「おいしい! こんなの食べたことないです!」
「でしょ?」
私の隣に座った藤崎さんが得意げになり機嫌を治して、目を細めた。そして、自分の分を取り上げ、大きな口でかぶりつく。
小ぶりで軽い食感のメロンパンなので、二人ともあっという間に食べてしまった。
感激のおいしさだった。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです! ありがとうございました」
手を合わせて、お礼を言うと、藤崎さんの胸に引き寄せられて、「じゃあ、今度は僕が希を食べる番」と耳もとでささやかれた。
ぞくんと身体が反応する。
私は本当に藤崎さんの声に弱い。
「ダメです! 汗くさいから、シャワーを浴びたいです」
「いいよ。それを含めて味わいたいから」
「変態ちっくですよ!」
「そんなこと、初めて言われた」
目を丸くした藤崎さんが吹き出した。