私を抱かないと新曲ができないって本当ですか?~イケメン作曲家との契約の恋人生活は甘い~

片想い

 翌日から仕事に戻ると、目が回るぐらい忙しかった。
 昨日休んだつけだった。
 リリースまでの最終チェックに、明日から始まるCMの確認とマスコミへの根回し、取材応対……。
 お昼をとる暇もなく働き続け、へとへとになって、藤崎さんの家に戻ってきたのは、二十三時過ぎ。

「ただいま~」

 玄関口で靴を脱いでいると、藤崎さんが出迎えてくれた。
 「おかえり」とハグされた。
 疲れた身体に温かい体温が気持ちいい。
 シトラス・ウッドの香りが心を癒す。
 思わず身を寄せると、くすっと藤崎さんが笑った。

「?」

 顔を上げると「よっぽど疲れてるんだね。君がこうしてぴたっとくっついてくれることは滅多にないよね」と言われた。
 慌てて離れようとしたら、余計腕に力を込められた。

「逃げないで。せっかくかわいいのに」

 藤崎さんが額にキスを落とす。
 恥ずかしくなって、リビングへ逃げた。

「お腹空いたでしょ?」

 藤崎さんがキッチンに行き、夕食を用意してくれようとしているのに気づいて、慌てて声をかけた。

「眠いから、先にお風呂に入らせてもらっていいですか?」
「いいよ。もう沸いてるはずだよ」
「さすが丸野さん! 助かる!」

 丸野さんは万能な家政婦さん。
 こないだとうとう遭遇した。
 穏やかなふんわり癒やし系の上品なおばさまだった。

 挨拶をして『いつも美味しいご飯をありがとうございます』とお礼を言ったら、『お口に合って、よかったわ』とにっこり笑ってくれた。
 こんなにいたせりつくせりのところに入り浸ってたら、一人暮らしに戻るのがつらくなるな……。

 着替えを用意して、お風呂に入る。
 体を洗って、湯船に入ると、冷えた体にお湯の温かさが沁みる。
 ここの湯船は広々としていて、ゆったりと脚が伸ばせる上に、頭部分を乗せられる枕のようなものまで付いている。
 そこに頭を乗せ、目をつぶる。

 あー、気持ちいい……。
 …………。
 …………。


「希ー? 大丈夫? 希? 起きてる?」

 藤崎さんの呼びかけでハッと目覚めた。脱衣所から声をかけてくれたのだ。
 湯船で寝そうになってた……っていうか、寝てた。

「ごめんなさい。寝てました」
「やっぱり。物音がしないから、そうかなと思った。溺れないでよ?」
「はーい。もう上がります」
「うん、それがいいよ」

 パタンと藤崎さんが出ていった音がした。
 私は髪の毛を乾かして、リビングに戻った。
 お風呂に入ったら目が覚めるかと思ったら逆だった。
 眠くて眠くて、仕方がない。

「ご飯食べられる?」
「あ……ごめんなさい……食べます」

 藤崎さんが夕食を用意してくれたみたい。
 お腹はペコペコなのに、うっかりすると目が閉じていく。

「ほら、お水飲みなよ」

 私を膝に乗せて、藤崎さんはグラスを渡してくれた。
 なんだか子どものように世話を焼かれてる。
 こういう体勢だと、小柄な私は藤崎さんの胸にすっぽり納まってしまって、子どもっぽいのかもしれない。

「ありがとう……ござい、ます……」

 コクリと水を飲むけど、うとうとして目が開けられない。
 落としそうになるグラスを取り上げられて、テーブルに置かれる。
 頭をポスンと藤崎さんの胸に引き寄せられると、あったかくて動けなくなる。
 藤崎さんが優しく髪をなでてくれるから、気持ちよくて、とうとう眠りに落ちてしまった。


 朝、爽やかに目覚めた。
 いつの間にか、ベッドにいる。
 熟睡できたようで、身体もすっきりしている。

 あれ? 私、藤崎さんにもたれたまま寝ちゃった?
 今も藤崎さんの腕の中にいるのは変わらないけど。
 ここまで運んでくれたんだ。

 藤崎さんはまだぐっすり眠っている。
 彼はちょっと朝は弱めで、なかなか起きない。
 それをいいことに、温かい胸にすり寄った。
 

 ♪♪♪


 『One-Way』のCMの感触は上々だった。
 やっぱりストーリー仕立てにしたのが当たって、話題になった。
 藤崎さんに後ろから抱っこされて見たテレビCMは確かに引きがあって、藤崎さんも感心していた。
 「僕の歌がこういうふうに料理されるとはね。おもしろいね」と。

 でも最近は、テレビCMよりネットの露出を多くしてる。
 動画サイトのTAKUYAの公式チャンネルにももちろん上げていて、「楽しみ!」「ブロッサムの続きが聴けるなんて! 歌詞が気になる」「あの子の恋は進展したのかな」などと好意的なコメントが早速ついていた。

 私は毎日藤崎さんの家から会社に通い、藤崎さんの家に帰った。
 今までも言ってたはずなのに、「ただいま」「おかえり」のやり取りが面映い。
 夜は、藤崎さんの腕の中で安心して眠る。自分の家でひとりで寝ていたら、きっとなかなか寝つけなかっただろう。

 そして、いよいよ『One-Way』のリリースの日。
 いつもより早く事務所に行くと、まずデジタルの売上をチェックする。
 ネットでは零時から配信されているから、朝にはすでにダウンロード数が出ているのだ。
 情報詳細を開いてみて、その桁数を数えて、びっくりした。

「社長! 『ブロッサム』の倍です!」

 興奮して声をあげると、社長も立ち上がって、ハイタッチしてきた。

「俺も今見た! やったな!」

 ショップの開店はこれからだ。CDの売上も気になるけど、今日は水曜日で平日だから、夕方が一番買われる。リアル店舗で最も売上が高くなるのは週末だから、今は重視していない。
 老舗の音楽雑誌から藤崎さんとTAKUYAの対談企画の打診まで来ていて、速攻オッケーの返事をした。
 社長と二人で初動の良さを喜び合っていたところ、先輩社員が駆け込んできた。

「ネットニュースのトップ見た? 藤崎さんの熱愛スクープ! SNSのトレンドワードにもなってるよ!」

 藤崎さんと聞いて、ドキッとする。社長と顔を見合わせる。

「まだです!」

 急いでパソコンで確認する。

「これ……」

 『熱愛発覚! 深夜の密会』というタイトルの下に、粒子の粗い写真があった。
 藤崎さんが私を抱きかかえてる瞬間。
 長谷川さんに襲われた時のバーでの写真だった。

『藤崎東吾さんとレコード会社A子さんは以前から藤崎さんの自宅周辺で目撃されていたが、当社が独自に決定的瞬間を入手した』との記事。
 聞いたことがない会社が発信元だった。 

 私の顔は角度的に見えないけど、藤崎さんが優しい顔で私を抱えていて、抱き合ってるように見える。
 あの時、私達以外に客はいなかったし、位置的にバーテンダーの仕業だと思われた。
 お小遣い稼ぎか腹いせに情報を売ったのだろう。

「社長!」

 私のパソコンを覗き込んだ社長を見上げる。
 社長はあの時の写真だと気づいたようだったけど、他の人に内緒の話だったので、黙って首を横に振った。

(どうしよう、どうしよう。恐れていたことが現実になってしまった)

『自宅付近で目撃されていた』なんて、やっぱり情報を掴まれていたんだ。
 うかつに出歩かなければよかった。
 藤崎さんに迷惑をかけてしまった……。
 
 私がパニックになっていると、社長と私の様子を見て察した先輩が聞いてきた。
 
「ひょっとして、これ希ちゃんなの?」
「転んだ希を藤崎さんが抱き止めただけだよ。この後ろに俺もちゃんといたんだけどな。見事にカットされてる。ひどいよな~」

 ビクッとする私と反対に、社長はうまく取り繕ってくれて、おかしそうに笑った。

「なーんだ。そんなオチか……」

 先輩はガッカリしてたけど、私は焦り続けていた。
 藤崎さんは私を助けてくれただけなのに、こんな写真が出回るなんて、申し訳ない……。
 
(どうしよう? こんな記事が出て、藤崎さんは大丈夫かな?)
 
 そこへ電話が掛かってくる。

「はい、エムアイ企画です」

 私が電話を取ると、いきなり「A子さんってお宅の社員?」と聞かれた。
 あの記事の取材だ。

「おっしゃる意味がわかりません」
「じゃあ、いいよ」

 とぼけた私の返事に電話が切れた。

 また電話が掛かってくる。
 嫌な予感がしつつ、取る。

「はい、エムアイ企画です」
「瀬戸希さんはいらっしゃいますか?」
「どちらさまですか?」
「ニューススピリットの小林と申します」
「瀬戸は今外出中ですので、代わりにご用件をお聞きします」
「取材をお願いしたくて」
「なんの件でしょうか?」
「藤崎さんの件で」
「瀬戸とは関係ないと思われますので、お断りいたします。失礼します」

 有無を言わさず、電話を切る。
 もちろん、面識もないし聞いたこともない会社だった。
 
(うそでしょ? あの写真だけで、もう私だって特定されてるの!?)

 関わりのない会社なら、こんな対応でいいけど、これからはやり取りのあるところからも問い合わせがくるだろう。

「社長、どうしましょう?」

 目を向けると、私の応対から事情を察した社長は指示を出してくれた。

「ノーコメントで通せ。希は外出中。しつこいヤツは俺に回せ」

 社長の指示を合図にしたかのように、一斉に電話が鳴りだした。
 それからしばらくは電話が鳴りっぱなしで、出勤してきた他の社員も総出で応対した。
 たまに、TAKUYAの新曲の取材も混ざっていて、気が抜けない。
 TAKUYAの新曲取材とバーターで私に取材をしようというメディアもあって、対応に困った。
 それは一旦保留にする。
 知り合いの記者からも連絡があった。
 その際はもう少し説明をした。

「あの写真は誤解なんです。後ろに社長もいて、二人きりでもないし。だいたい藤崎さんが私なんかを相手にすると思いますか?」

 そう言うと、相手は『あー、まぁ、そうだね』と大概納得してくれた。
 自分で言ってて傷つく。 

 なにもできないまま午前中が終わった。
 本当は新曲の動向を見て、次の手を考えたかったのに。
 
(藤崎さんのほうもこんな状態になってるのかな? もっとひどい状態だったらどうしよう?)
 
 そう思うと、申し訳なさに心臓が痛くなる。

 それなのに、お昼を過ぎると、あんなに鳴りっぱなしだった電話はパタリと止まった。

「もう掛かるだけ掛かってきたのかな?」

 不思議に思って言うと、「普通こんなもんじゃないと思うけど……」と先輩たちも不思議そうだ。
 SNSを見ると、相変わらず、トレンドワードのトップが『藤崎東吾』、次に『熱愛』になってる。
 でも、朝見た時からひとつ加わってていて、次は『片想い』というワードになっていた。

「片想い?」

 それをワードを押してみると、藤崎さんのコメントだった。

『熱愛とか騒がれてるけど、僕の片想いなんだよね。そっとしておいてくれないかな。これでフラれたらどうしてくれるんだよ。彼女は一般人なんだから、取材とかしないでよね。迷惑かけた会社とは今後一切仕事しないから、よろしく』

(もう、藤崎さん! なに書いてるんですか……!)

 私を守るための言葉だとわかっているのに、ドキッとしてしまう。
 
 そして、藤崎さんの気づかいに、涙が出そうになる。

 そのコメントは見てる間にどんどん拡散されていっていた。
 コメントもいっぱいついている。

『藤崎さんが片想いなんてあるの?』
『この写真の東吾好き!』
『藤崎さんがフラれるとかあり得ないから!』
『いいなー。こんな風に愛されたい』
『グッときた』
『東吾さん、頑張ってください! 応援してます!』
『片想い! 切ない~!』
『この写真ときめくー!』

 確かに、あの写真の藤崎さんの表情はとても素敵で、私もつい保存してしまった。
 そんな場合じゃないのに。

 そして、『最近の藤崎さんの歌が甘いのは、片想いのせいですか?』というコメントにめずらしく本人から『うん、そうだよ』と返信がついていた。
 それにさらにコメントが続く。
 
『え、もしかしてブロッサムって藤崎さんの心情?』
『確かに恋に落ちたって言ってる』
『あの写真の顔いいよねー。愛しいって感じで』
『ブロッサムの続きの歌が出るって話だよね?』
『TAKUYAの新曲?』
『今日発売じゃない?』
『えー、じゃあプロモーションじゃないの、これ?』
『炎上商法?www』
『でも、こんなに回りくどいプロモーションってある? しかも、TAKUYAじゃなくて藤崎さんのスクープだし』
『だけどさ……』

 ファンの中で盛り上がっている中で、TAKUYAの新曲にまで触れられてる。
 これは!と思って、『One-Way』のセールスをチェックしたら、むちゃくちゃに伸びていた。
 半端なプロモーションより効果がある。
 『ブロッサム』も釣られて売上が伸びている。
 売上が上がるのはうれしいけど、こんな方法で上がってほしくはなかった。
 くやしくて唇を噛んだ。

(でも、電話が止まったのは、この藤崎さんのコメントのおかげ?)

「社長、これを見てください」

 パソコン画面の藤崎さんのコメントを見せる。
 そして、それについたコメントも読んでほしいと言う。
 ざっと目を通した社長は感心したような苦笑したような顔で溜め息をついた。

「さすが藤崎さんだなぁ。ここまで言われると、どのマスコミもうかつに手を出せないよなぁ。藤崎さんの事務所も動いてるんだろうけど」
「しかも、このおかげで『One-Way』も『ブロッサム』も売上が鰻登りです」
「藤崎さん様々だな。今度お礼をしないと」
「そうですね」

 社長の言葉にうなずく。
 でも、本当は藤崎さんにはお詫びの気持ちでいっぱいだった。
 炎上商法まで疑われるなんて……。
 
 社長はフロアを見渡して、声を張り上げた。 

「みんなー、藤崎さんのおかげで、取りあえず電話はもう来ないようだ。お昼に行っていいぞ。お疲れさま!」

 やれやれといったように、みんなは伸びをしたり、溜め息をついたりして、休憩に入った。
 私のせいで業務が滞って、迷惑をかけてしまった。

「みなさん、申し訳ありませんでした」

 私が頭を下げると、みんな「希ちゃんが悪いわけじゃないから」「運が悪かったね」「いや、セールス的にはラッキーじゃない?」と口々に慰めの言葉をかけてくれて、事務所を出ていった。
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