私を抱かないと新曲ができないって本当ですか?~イケメン作曲家との契約の恋人生活は甘い~
初めからやり直したい
改めて藤崎さんへの想いを自覚してしまった私は、かといってどうすることもできずに、毎日仕事をこなした。
TAKUYAは冗談だったのか、あれからちょっかいをかけてくることもなく、自然体だ。
でも、たまに頭をなでられる。
この間の対談のようなものがなければ、藤崎さんと私の線は交わることなく、彼がどうしてるのかさえ耳に入ってこない。
私たちの距離感は本来こんなものだ。
(藤崎さんは最後の一曲を書き終わったかな?)
そんなことを思っていた会社帰り。
「希……」
エレベーターを出たら、ロビーの壁に藤崎さんがもたれて立っていた。
キャップのひさしを深くかぶっていて、表情はよく見えない。
「藤崎さん! どうしてここに?」
驚いて声を上げる。
っていうか、いつからここにいたの?
屋内とはいえ、初冬の寒いさなかに。
ロビーは暖房も効いていなくて、ひんやりしていた。
キャップを取った藤崎さんが私を見つめてきた。
「君と直接話したいと思って」
前に会ったときより目の下にクマがはっきりできていて、やつれたような藤崎さんはそれでも色っぽい。
私は慌てて周囲を見回した。
「話って……。でも、ここだと目立ち過ぎるし……」
「車に行く?」
ためらったものの、仕方なくうなずいた。
会社の会議室でもどこかのお店でもできる話じゃないだろうから。
駐車場に停めてあった車に乗り込むと、藤崎さんがこちらを見て、弱々しく微笑んだ。
「ごめん、待ち伏せなんてして。かっこ悪いね」
「そんなことありません! 藤崎さんはいつだってかっこいいですよ!」
大真面目に言ったのに、藤崎さんは苦笑した。
「ねぇ、希」
藤崎さんが私に手を伸ばしかけて、宙でこぶしを握って下ろした。
その代わり、飢えたような視線が私をからめとる。
「お願いだ、希。戻ってきて? アルバムができるまで付き合ってくれる約束だろ? このままだとアルバムが完成しない」
予想していた言葉だったけど、アルバムができないと言われて、息を呑んだ。
まだ、曲は書けてなかったんだ……。
それでも、藤崎さんをなだめるように言った。
「私にこだわらなかったら、きっと素敵な曲を作れますよ」
「違う。君がいないとダメなんだ。なにも浮かんでこない。僕はまた無に戻ってしまう」
疲れたような藤崎に懇願されて、気持ちが揺らぐ。
でも、今抱かれると切なくて、想いがあふれてしまいそう。
ゆるゆる首を横に振る。
その私の肩を掴んで、藤崎さんが乞うように言う。
「頼む! あと一曲なんだ! それができるまででいいから!」
あと一曲でアルバムができる。
切実な訴えにぐらりと天秤が傾いた。
なにより藤崎さんの苦しげな顔に耐えられなかった。
「……じゃあ、あと一曲できるまで。それだけですよ?」
「本当!? 希、ありがとう」
顔を輝かせた藤崎さんに複雑な思いが募る。
(藤崎さんは作曲のことしか考えていない。好きな人に気持ちがないまま抱かれるのがどんなに苦しいかわかってない)
それでも、藤崎さんのお守りになると決めた。あと少しだけ。
胸が痛いけど、彼に抱かれると思うと身体中が喜ぶ。ううん、やっぱり身体だけじゃなくて心も歓喜に震えている。
私はそのまま藤崎さんの家に連れていかれた。
♪♪♪
藤崎さんは家の中に入るなり、私を玄関のドアに押しつけて、まるで溺れる人が空気を求めるような激しいキスをした。
息をぜんぶ吸い込まれ、何度も何度も繰り返されるキスにかくんと脚の力が抜けた。
へたり込みそうになった私を抱きあげて、藤崎さんは寝室に運んだ。
ベッドへ下ろされて、性急に愛撫される。
言葉もなく余裕なく抱かれた。
(藤崎さんがこんなにも求めているのは作曲のため。勘違いしちゃダメ)
ギュッと痛いくらいに抱きしめられ、激しい行為に息を乱したまま、私は聞いた。
「曲は……できましたか?」
藤崎さんは目を見開き、苦く笑った。
「君はそればかりだね。曲ができたと言ったら、さっさとここを出ていくつもり?」
「そういうわけじゃ……」
「まだだよ。そんなにすぐにはできない」
そう言って、藤崎さんは私を抱きしめた。私の髪に顔をうずめて、つぶやいた。
「ねぇ、希、このまま僕のものになってよ」
「ムリです!」
「ムリか……。本当に君はつれないね」
表情が見えないまま、愛撫が再開されて、また抱かれた。
♪♪♪
朝目覚めたら、腰が重かった。
隣を見ると、藤崎さんは満足した顔で微笑みながら、ぐっすり寝ている。
そりゃあ、あんなにしたら、スッキリするわよね……。
(こんなきれいな顔して、藤崎さんって、けっこう性欲強いよね。だから、契約の恋人なんて言い出したのかな。本当は抱かなくても曲は作れるって言ってたし)
藤崎さんの頬をつついてみる。
彼はピクリともしない。
(私がこんなに好きになっちゃったのに、気づいてないんだろうなぁ)
彼に抱かれるのは、求められるのは、苦しいのにうれしくて、心が千々に乱れる。
気分を変えようと、そっとその腕を抜け出して、シャワーを浴びて着替えた。
私の着替えや歯ブラシはここを出たときのままだった。
今日はちょうど会社が休みだったからゆっくりできる。
コーヒーを淹れて、用意してあったパンで朝食にしようと思ったけど、食べる気にならず、また寝室に戻った。
眠る藤崎さんを見つめて考える。こんな近くにいられるのもあと少しだけ。もうないかと思ってたぐらい。
(それなら、あと少しなら、もうちょっとだけ藤崎さんに甘えてもいいよね?)
そっとベッドに戻ると、藤崎さんに抱きついた。
「……ん………希……?」
私の気配を感じて、藤崎さんは目を閉じたまま、抱きしめてくれた。
胸がきゅんとする。
大好きな人の胸の中で、私はもう一度目を閉じた。
♪♪♪
頬にかかる髪の毛を掻きあげる手の動きで目が覚めた。
「ごめん、起こしちゃった?」
藤崎さんの甘いマスクが目の前にあった。
なんて幸せな目覚め。
もうこんな機会はないと思ってた。
私はずっと自分が彼に飢えていたのを感じた。
「いいえ、大丈夫です。今、何時ですか?」
「十時過ぎだよ」
「あ、けっこう寝ちゃってたんですね」
「一度起きたの?」
私の服装を見て、藤崎さんが尋ねた。
私は、カットソーとジーンズ姿で寝ていた。
「はい。一度起きたんですけど、また眠くなって……」
「夢うつつに、僕に抱きついてきたのがわかって、かわいかった」
藤崎さんはにっこり笑って、口づけをくれる。
(気づかれてたんだ……)
熱くなった顔を隠すようにうつむく。
「昨日あれだけしたのに、また抱きたくなったよ」
「もうダメです。曲を書いてください」
「本当に君は……」
藤崎さんががっくりと肩を落とした。
♪♪♪
二人でブランチを取って、のんびりしてると、刑事さんが来た。
聴取の確認と状況報告をしてくれるらしい。
長谷川さんの事件がはるか前のことに思えたけど、まだ一カ月も経っていなかった。
事務所で社長に会った帰りにここに寄ったそうだ。
中年男性と若めの二人のコンビ。
刑事さんって、ドラマ通り、二人セットで動くのね。
「あぁ、お二人が揃っていて、よかった。ただの事実確認なんです」
当日、私は気を失っていたから、藤崎さんが語った内容の再確認と社長が説明してくれた当時の状況の確認だった。
藤崎さんのおかげで、大した被害のなかった私に対して、主眼は長谷川さんの暴行事件に移っていて、調べれば調べるほど被害女性が出てきて、証拠固めに奔走しているそうだ。
「デリケートな問題なんで、私たちも気を使って調べてるんです。私も娘がいるもんで、他人事とは思えなくて。まったく長谷川のヤツには反吐が出る。現行犯逮捕できて、本当に感謝してるんですよ」
中年刑事さんがほぼ一人で憤って話して、帰っていった。
話の間、藤崎さんが私の手をずっと握ってくれていたから、私も落ち着いて話せた。
私は藤崎さんが助けに来てくれて、本当にラッキーだった。
刑事さん達が帰った後も、藤崎さんが硬い顔をしていたので、私はわざと明るい声を作って言った。
「藤崎さんのおかげで、もうこれ以上被害が増えなくてよかったですね」
でも、藤崎さんはそれに答えず、暗い瞳のままで私を見た。
「藤崎さん?」
「僕は、希に謝らないといけない……」
「え?」
「長谷川に憤りを感じていたけど、僕は希に同じようなことをした。今もしてる……」
契約のことかな?
確かに、最初は強引だったけど、私はちゃんと自分の意志で受けたんだし、長谷川さんのやったこととは違う。
私はかぶりを振った。
「全然違いますよ? 藤崎さんは無理やりしてないし、まして、薬も使ってないし」
「でも、『曲が欲しければ』と言って、君を抱いた……」
「私は曲が欲しいから抱かれたわけじゃないです!」
「でも、曲を盾にしたのは確かだ。番組を盾にした長谷川と一緒だ」
「一緒じゃありませんよ! ……藤崎さんは楽曲提供を理由にいつも女の子を抱いてるんですか? 薬を使って?」
「そんなわけない!」
「じゃあ、やっぱり違うじゃないですか」
私は微笑んで、藤崎さんの頭を胸に引き寄せた。
彼にこんな顔をさせたくなくて、なだめるように髪をなでた。
それでも、藤崎さんは身体をこわばらせたままだった。
「あの時、僕はおかしくなってたんだ……」
ぽつりと藤崎さんが洩らした。
びっくりして手が止まる。
「これは言い訳だけど……。スランプで曲が書けなくて行き詰って苦しくて、そんなとき、希に会った。君がこれでもかっていうほど僕の曲を褒めてくれるから、僕の薄っぺらな歌にもなんだか意味があるような気がして、だんだん曲が書けるようになってきた。希を見てると不思議なくらいイメージが湧いてきたんだ」
藤崎さんは軽く息をついて、私を見上げた。
「それなのに、君は『ブロッサム』を提供すると、ぱたりと姿を見せなくなった」
「だってそれは、お忙しい藤崎さんを用もないのに煩わせるわけにはいかないから!」
「そうなんだろうね。でも、僕はまた曲を書けなくなった。今と一緒だ」
溜め息をついた藤崎さんは目を逸らし、宙を見つめた。
その表情は苦しげで、私まで息が詰まった。
「あのとき、希に会いたくて会いたくておかしくなりそうで限界で、楽曲提供したアーティストの応援とかこつけて譜道館に行ったんだ。でも、君はTAKUYAに夢中だった。ショックだった。強引にでも僕に目を向けさせたくなった。それで、気がつくとキスしてた。強引に迫った……」
「藤崎さん……」
「今回も同じことをしてる。アルバムを盾に君を抱いて……。僕は卑怯だ……!」
「そんなことありません!」
また視線を落とした彼の頭に頬を寄せた。
譜道館でのことはずっと不思議だった。すぐに謝ってはくれたけど、どうしてあんなことをしたのかと。あのときとそれ以外の藤崎さんのイメージに差がありすぎて、違和感を覚えていた。
(そんなにスランプがつらかったんだ……)
そういえば、佐々木さんも言ってたな。藤崎さんがスランプで荒れてたって。
藤崎さんほどになれば、周囲の期待値が高いだろうし、山ほど依頼がある中で曲が書けないというのはとんでもなくストレスだったんだろうなぁ。
今の様子を見れば、その追い詰められ具合がよくわかる。
だから、契約の恋人なんて言い出したのね。
でも、藤崎さんは思い違いをしている。
私が夢中だったのはTAKUYAにじゃなくて、藤崎さんの『ブロッサム』だったのに。
「藤崎さん。私はスランプ解消になれてよかったですよ? 結局、『One-Way』という素敵な曲をもらっちゃったし、そのあと藤崎さんが私にしてくれたことでチャラです。いえ、私がもらいすぎになってます」
本気で言ったのに、藤崎さんは自分が許せないようで、こぶしを握り締め、つぶやいた。
「……希は優しいね。あのときに戻れるなら、僕は初めからやり直したいよ。スタートから間違ってた。あのときの自分をぶっ飛ばしたい」
「もういいですって」
落ち込む藤崎さんをなんとか慰めたくて、頬にキスをした。
直後にギュッと抱きしめられ、すぐ放された。
「ちょっと仕事場で頭を冷やしてくる。希は好きにしてて」
「はい」
暗い表情の藤崎さんが気になったけれど、立ち去る姿は慰めを拒否しているようで、声をかけられなかった。
私はリビングでぼんやりテレビを見ていた。
番宣で来週の情報番組で藤崎さんのインタビューが流れるのを知った。
藤崎さんがテレビに出るのって久しぶりだわ。
これは見逃せないと頭の中にメモをする。
(やっぱり私は藤崎さんの大ファンなのよね)
これだけはなにがあっても変わらないだろうと苦笑した。
チャンネルを変えていくと音楽番組があって、見たかったのに、連日の疲れで、いつの間にかソファーでうたた寝していた。
ふと気づくと、横には藤崎さんが座り、私の髪をなでていた。
「あ、すみません。寝ちゃってて」
「いいよ。疲れてるんだね」
「『One-Way』が大好評すぎて」
「そう、よかった」
私が笑うけど、藤崎さんは真剣な目を向けて、私の頬をなでた。
その顔は、さっきと同じ暗いままだったけど、どこか吹っ切れたようなさっぱりとした感じがした。
「……希」
絞り出すような声で名を呼ばれる。
その声にドキッとする。
なにか今までとは違う声色だったから。
「最後の曲を書き始めたんだ。これからはひとりで作曲するよ。契約を解消しよう。もうこんな関係は続けられない。本当にごめん、今までありがとう」
「……」
一気に告げられたそれは、謝罪と感謝という形の拒絶だった。
(曲が書けるようになったんだ。そっか。もう私はいらないんだ)
突然の別れの言葉が、ストンと心に落ちた。
TAKUYAは冗談だったのか、あれからちょっかいをかけてくることもなく、自然体だ。
でも、たまに頭をなでられる。
この間の対談のようなものがなければ、藤崎さんと私の線は交わることなく、彼がどうしてるのかさえ耳に入ってこない。
私たちの距離感は本来こんなものだ。
(藤崎さんは最後の一曲を書き終わったかな?)
そんなことを思っていた会社帰り。
「希……」
エレベーターを出たら、ロビーの壁に藤崎さんがもたれて立っていた。
キャップのひさしを深くかぶっていて、表情はよく見えない。
「藤崎さん! どうしてここに?」
驚いて声を上げる。
っていうか、いつからここにいたの?
屋内とはいえ、初冬の寒いさなかに。
ロビーは暖房も効いていなくて、ひんやりしていた。
キャップを取った藤崎さんが私を見つめてきた。
「君と直接話したいと思って」
前に会ったときより目の下にクマがはっきりできていて、やつれたような藤崎さんはそれでも色っぽい。
私は慌てて周囲を見回した。
「話って……。でも、ここだと目立ち過ぎるし……」
「車に行く?」
ためらったものの、仕方なくうなずいた。
会社の会議室でもどこかのお店でもできる話じゃないだろうから。
駐車場に停めてあった車に乗り込むと、藤崎さんがこちらを見て、弱々しく微笑んだ。
「ごめん、待ち伏せなんてして。かっこ悪いね」
「そんなことありません! 藤崎さんはいつだってかっこいいですよ!」
大真面目に言ったのに、藤崎さんは苦笑した。
「ねぇ、希」
藤崎さんが私に手を伸ばしかけて、宙でこぶしを握って下ろした。
その代わり、飢えたような視線が私をからめとる。
「お願いだ、希。戻ってきて? アルバムができるまで付き合ってくれる約束だろ? このままだとアルバムが完成しない」
予想していた言葉だったけど、アルバムができないと言われて、息を呑んだ。
まだ、曲は書けてなかったんだ……。
それでも、藤崎さんをなだめるように言った。
「私にこだわらなかったら、きっと素敵な曲を作れますよ」
「違う。君がいないとダメなんだ。なにも浮かんでこない。僕はまた無に戻ってしまう」
疲れたような藤崎に懇願されて、気持ちが揺らぐ。
でも、今抱かれると切なくて、想いがあふれてしまいそう。
ゆるゆる首を横に振る。
その私の肩を掴んで、藤崎さんが乞うように言う。
「頼む! あと一曲なんだ! それができるまででいいから!」
あと一曲でアルバムができる。
切実な訴えにぐらりと天秤が傾いた。
なにより藤崎さんの苦しげな顔に耐えられなかった。
「……じゃあ、あと一曲できるまで。それだけですよ?」
「本当!? 希、ありがとう」
顔を輝かせた藤崎さんに複雑な思いが募る。
(藤崎さんは作曲のことしか考えていない。好きな人に気持ちがないまま抱かれるのがどんなに苦しいかわかってない)
それでも、藤崎さんのお守りになると決めた。あと少しだけ。
胸が痛いけど、彼に抱かれると思うと身体中が喜ぶ。ううん、やっぱり身体だけじゃなくて心も歓喜に震えている。
私はそのまま藤崎さんの家に連れていかれた。
♪♪♪
藤崎さんは家の中に入るなり、私を玄関のドアに押しつけて、まるで溺れる人が空気を求めるような激しいキスをした。
息をぜんぶ吸い込まれ、何度も何度も繰り返されるキスにかくんと脚の力が抜けた。
へたり込みそうになった私を抱きあげて、藤崎さんは寝室に運んだ。
ベッドへ下ろされて、性急に愛撫される。
言葉もなく余裕なく抱かれた。
(藤崎さんがこんなにも求めているのは作曲のため。勘違いしちゃダメ)
ギュッと痛いくらいに抱きしめられ、激しい行為に息を乱したまま、私は聞いた。
「曲は……できましたか?」
藤崎さんは目を見開き、苦く笑った。
「君はそればかりだね。曲ができたと言ったら、さっさとここを出ていくつもり?」
「そういうわけじゃ……」
「まだだよ。そんなにすぐにはできない」
そう言って、藤崎さんは私を抱きしめた。私の髪に顔をうずめて、つぶやいた。
「ねぇ、希、このまま僕のものになってよ」
「ムリです!」
「ムリか……。本当に君はつれないね」
表情が見えないまま、愛撫が再開されて、また抱かれた。
♪♪♪
朝目覚めたら、腰が重かった。
隣を見ると、藤崎さんは満足した顔で微笑みながら、ぐっすり寝ている。
そりゃあ、あんなにしたら、スッキリするわよね……。
(こんなきれいな顔して、藤崎さんって、けっこう性欲強いよね。だから、契約の恋人なんて言い出したのかな。本当は抱かなくても曲は作れるって言ってたし)
藤崎さんの頬をつついてみる。
彼はピクリともしない。
(私がこんなに好きになっちゃったのに、気づいてないんだろうなぁ)
彼に抱かれるのは、求められるのは、苦しいのにうれしくて、心が千々に乱れる。
気分を変えようと、そっとその腕を抜け出して、シャワーを浴びて着替えた。
私の着替えや歯ブラシはここを出たときのままだった。
今日はちょうど会社が休みだったからゆっくりできる。
コーヒーを淹れて、用意してあったパンで朝食にしようと思ったけど、食べる気にならず、また寝室に戻った。
眠る藤崎さんを見つめて考える。こんな近くにいられるのもあと少しだけ。もうないかと思ってたぐらい。
(それなら、あと少しなら、もうちょっとだけ藤崎さんに甘えてもいいよね?)
そっとベッドに戻ると、藤崎さんに抱きついた。
「……ん………希……?」
私の気配を感じて、藤崎さんは目を閉じたまま、抱きしめてくれた。
胸がきゅんとする。
大好きな人の胸の中で、私はもう一度目を閉じた。
♪♪♪
頬にかかる髪の毛を掻きあげる手の動きで目が覚めた。
「ごめん、起こしちゃった?」
藤崎さんの甘いマスクが目の前にあった。
なんて幸せな目覚め。
もうこんな機会はないと思ってた。
私はずっと自分が彼に飢えていたのを感じた。
「いいえ、大丈夫です。今、何時ですか?」
「十時過ぎだよ」
「あ、けっこう寝ちゃってたんですね」
「一度起きたの?」
私の服装を見て、藤崎さんが尋ねた。
私は、カットソーとジーンズ姿で寝ていた。
「はい。一度起きたんですけど、また眠くなって……」
「夢うつつに、僕に抱きついてきたのがわかって、かわいかった」
藤崎さんはにっこり笑って、口づけをくれる。
(気づかれてたんだ……)
熱くなった顔を隠すようにうつむく。
「昨日あれだけしたのに、また抱きたくなったよ」
「もうダメです。曲を書いてください」
「本当に君は……」
藤崎さんががっくりと肩を落とした。
♪♪♪
二人でブランチを取って、のんびりしてると、刑事さんが来た。
聴取の確認と状況報告をしてくれるらしい。
長谷川さんの事件がはるか前のことに思えたけど、まだ一カ月も経っていなかった。
事務所で社長に会った帰りにここに寄ったそうだ。
中年男性と若めの二人のコンビ。
刑事さんって、ドラマ通り、二人セットで動くのね。
「あぁ、お二人が揃っていて、よかった。ただの事実確認なんです」
当日、私は気を失っていたから、藤崎さんが語った内容の再確認と社長が説明してくれた当時の状況の確認だった。
藤崎さんのおかげで、大した被害のなかった私に対して、主眼は長谷川さんの暴行事件に移っていて、調べれば調べるほど被害女性が出てきて、証拠固めに奔走しているそうだ。
「デリケートな問題なんで、私たちも気を使って調べてるんです。私も娘がいるもんで、他人事とは思えなくて。まったく長谷川のヤツには反吐が出る。現行犯逮捕できて、本当に感謝してるんですよ」
中年刑事さんがほぼ一人で憤って話して、帰っていった。
話の間、藤崎さんが私の手をずっと握ってくれていたから、私も落ち着いて話せた。
私は藤崎さんが助けに来てくれて、本当にラッキーだった。
刑事さん達が帰った後も、藤崎さんが硬い顔をしていたので、私はわざと明るい声を作って言った。
「藤崎さんのおかげで、もうこれ以上被害が増えなくてよかったですね」
でも、藤崎さんはそれに答えず、暗い瞳のままで私を見た。
「藤崎さん?」
「僕は、希に謝らないといけない……」
「え?」
「長谷川に憤りを感じていたけど、僕は希に同じようなことをした。今もしてる……」
契約のことかな?
確かに、最初は強引だったけど、私はちゃんと自分の意志で受けたんだし、長谷川さんのやったこととは違う。
私はかぶりを振った。
「全然違いますよ? 藤崎さんは無理やりしてないし、まして、薬も使ってないし」
「でも、『曲が欲しければ』と言って、君を抱いた……」
「私は曲が欲しいから抱かれたわけじゃないです!」
「でも、曲を盾にしたのは確かだ。番組を盾にした長谷川と一緒だ」
「一緒じゃありませんよ! ……藤崎さんは楽曲提供を理由にいつも女の子を抱いてるんですか? 薬を使って?」
「そんなわけない!」
「じゃあ、やっぱり違うじゃないですか」
私は微笑んで、藤崎さんの頭を胸に引き寄せた。
彼にこんな顔をさせたくなくて、なだめるように髪をなでた。
それでも、藤崎さんは身体をこわばらせたままだった。
「あの時、僕はおかしくなってたんだ……」
ぽつりと藤崎さんが洩らした。
びっくりして手が止まる。
「これは言い訳だけど……。スランプで曲が書けなくて行き詰って苦しくて、そんなとき、希に会った。君がこれでもかっていうほど僕の曲を褒めてくれるから、僕の薄っぺらな歌にもなんだか意味があるような気がして、だんだん曲が書けるようになってきた。希を見てると不思議なくらいイメージが湧いてきたんだ」
藤崎さんは軽く息をついて、私を見上げた。
「それなのに、君は『ブロッサム』を提供すると、ぱたりと姿を見せなくなった」
「だってそれは、お忙しい藤崎さんを用もないのに煩わせるわけにはいかないから!」
「そうなんだろうね。でも、僕はまた曲を書けなくなった。今と一緒だ」
溜め息をついた藤崎さんは目を逸らし、宙を見つめた。
その表情は苦しげで、私まで息が詰まった。
「あのとき、希に会いたくて会いたくておかしくなりそうで限界で、楽曲提供したアーティストの応援とかこつけて譜道館に行ったんだ。でも、君はTAKUYAに夢中だった。ショックだった。強引にでも僕に目を向けさせたくなった。それで、気がつくとキスしてた。強引に迫った……」
「藤崎さん……」
「今回も同じことをしてる。アルバムを盾に君を抱いて……。僕は卑怯だ……!」
「そんなことありません!」
また視線を落とした彼の頭に頬を寄せた。
譜道館でのことはずっと不思議だった。すぐに謝ってはくれたけど、どうしてあんなことをしたのかと。あのときとそれ以外の藤崎さんのイメージに差がありすぎて、違和感を覚えていた。
(そんなにスランプがつらかったんだ……)
そういえば、佐々木さんも言ってたな。藤崎さんがスランプで荒れてたって。
藤崎さんほどになれば、周囲の期待値が高いだろうし、山ほど依頼がある中で曲が書けないというのはとんでもなくストレスだったんだろうなぁ。
今の様子を見れば、その追い詰められ具合がよくわかる。
だから、契約の恋人なんて言い出したのね。
でも、藤崎さんは思い違いをしている。
私が夢中だったのはTAKUYAにじゃなくて、藤崎さんの『ブロッサム』だったのに。
「藤崎さん。私はスランプ解消になれてよかったですよ? 結局、『One-Way』という素敵な曲をもらっちゃったし、そのあと藤崎さんが私にしてくれたことでチャラです。いえ、私がもらいすぎになってます」
本気で言ったのに、藤崎さんは自分が許せないようで、こぶしを握り締め、つぶやいた。
「……希は優しいね。あのときに戻れるなら、僕は初めからやり直したいよ。スタートから間違ってた。あのときの自分をぶっ飛ばしたい」
「もういいですって」
落ち込む藤崎さんをなんとか慰めたくて、頬にキスをした。
直後にギュッと抱きしめられ、すぐ放された。
「ちょっと仕事場で頭を冷やしてくる。希は好きにしてて」
「はい」
暗い表情の藤崎さんが気になったけれど、立ち去る姿は慰めを拒否しているようで、声をかけられなかった。
私はリビングでぼんやりテレビを見ていた。
番宣で来週の情報番組で藤崎さんのインタビューが流れるのを知った。
藤崎さんがテレビに出るのって久しぶりだわ。
これは見逃せないと頭の中にメモをする。
(やっぱり私は藤崎さんの大ファンなのよね)
これだけはなにがあっても変わらないだろうと苦笑した。
チャンネルを変えていくと音楽番組があって、見たかったのに、連日の疲れで、いつの間にかソファーでうたた寝していた。
ふと気づくと、横には藤崎さんが座り、私の髪をなでていた。
「あ、すみません。寝ちゃってて」
「いいよ。疲れてるんだね」
「『One-Way』が大好評すぎて」
「そう、よかった」
私が笑うけど、藤崎さんは真剣な目を向けて、私の頬をなでた。
その顔は、さっきと同じ暗いままだったけど、どこか吹っ切れたようなさっぱりとした感じがした。
「……希」
絞り出すような声で名を呼ばれる。
その声にドキッとする。
なにか今までとは違う声色だったから。
「最後の曲を書き始めたんだ。これからはひとりで作曲するよ。契約を解消しよう。もうこんな関係は続けられない。本当にごめん、今までありがとう」
「……」
一気に告げられたそれは、謝罪と感謝という形の拒絶だった。
(曲が書けるようになったんだ。そっか。もう私はいらないんだ)
突然の別れの言葉が、ストンと心に落ちた。