『191ヶ月13日の命』
2008年2月29日(金)
〝人生最後の彼女〟
その言葉通り彼の笑顔を見る事も温もりを感じる事も声を聞く事も出来なくなりました。
この日、私は世界でたった1人の大切な人を失いました。
『 掛橋義仁(15歳) 』
この日の13日前、私は幸せだった日々から一転、地獄の果てまで突き落とされました。
2008年2月16日(土)13時30分頃、神戸市中央区の私立高校で同校に通う1年男子生徒が校舎の4階から転落する事故がありました。
その男子生徒は硬式野球部員で、朝からクラブ活動に参加していました。
練習が終わり教室に向かいますが、施錠されていたため、外側階段の踊り場から4階の教室の窓にある幅約80センチの廂(ひさし)に移り、窓から教室に入り荷物を置いて踊り場に戻ろうとした時、約11メートル下の地面に転落したとの事でした。
彼はすぐに病院に運ばれましたが意識不明の重体。
土曜日、いつもなら会う約束をしていたのですが、この日は私が学校で模試だったので会う約束をしていませんでした。
私がこの事故を知ったのは14時30分頃、彼の先輩にあたる同じ野球部の知人から電話で聞きました。
事故が起きた時間は13時25分頃、私はその事故が起きる2分前までメールをしていました。
13時23分から彼からのメールを受信する事はなく、彼が転落した約1時間後に事故の事を知りました。
私は電話をもらった時、学校での模試が終わり友達の家に遊びに行っていました。
携帯に電話がありましたが、当然、事故の事など知る由もなく、聞こえてくる言葉は冗談にしか思えず、軽く流してたのですが、様子がおかしいので確認すると、急に電話の向こうから聞こえた信じられない一言、「掛橋4階から落ちた」に私は全く理解出来ず只々黙って話を聞いていました。
次の瞬間、「さっき病院に運ばれたけど心肺停止で…」。全身が震え、心臓が破れるくらい自分がボロボロになりそうでした。
"……心肺停止"思いもよらない言葉に私は頭の中が真っ白になりました。
でも"生きている"と信じる事しか考えたくなかったので、彼が運ばれた病院を聞くと、私も何度か行った事のある中央市民病院でした。
翌日訪れた病院で待っていた現実は私の想像を遥かに超え、ただ突っ立っている私に彼の御家族が「義は今すごく頑張っている」と話してくれ、我に戻り、自分にできる事を精一杯しようと思い、1日も早く彼の意識が戻る事を祈りました。
彼の意識が無くなり、私は頭では彼が元気になった時のためにやるべき事が沢山あると分かっているにも関わらず、初めて味わう不安感から気持ちが追いつかず、自分が砕けそうでした。
ただそんな時、家族や沢山の友達が彼の意識が早く戻る様に一緒に祈ってくれ、励まされ支えられました。
彼の母上様からほぼ毎日連絡を頂き、その連絡が私を安心させてくれました。
そして彼の御家族も友達も皆で奇跡を信じ待っていました。
私は彼の意識が無くなってから毎日、彼の携帯にメールを送り、今までの思い出を全部ノートにまとめ、必ず彼の命は救われると信じ、彼が帰ってくる準備をしていました。
いつか必ず読んでもらえると信じて…。
〝人生最後の彼女〟
その言葉通り彼の笑顔を見る事も温もりを感じる事も声を聞く事も出来なくなりました。
この日、私は世界でたった1人の大切な人を失いました。
『 掛橋義仁(15歳) 』
この日の13日前、私は幸せだった日々から一転、地獄の果てまで突き落とされました。
2008年2月16日(土)13時30分頃、神戸市中央区の私立高校で同校に通う1年男子生徒が校舎の4階から転落する事故がありました。
その男子生徒は硬式野球部員で、朝からクラブ活動に参加していました。
練習が終わり教室に向かいますが、施錠されていたため、外側階段の踊り場から4階の教室の窓にある幅約80センチの廂(ひさし)に移り、窓から教室に入り荷物を置いて踊り場に戻ろうとした時、約11メートル下の地面に転落したとの事でした。
彼はすぐに病院に運ばれましたが意識不明の重体。
土曜日、いつもなら会う約束をしていたのですが、この日は私が学校で模試だったので会う約束をしていませんでした。
私がこの事故を知ったのは14時30分頃、彼の先輩にあたる同じ野球部の知人から電話で聞きました。
事故が起きた時間は13時25分頃、私はその事故が起きる2分前までメールをしていました。
13時23分から彼からのメールを受信する事はなく、彼が転落した約1時間後に事故の事を知りました。
私は電話をもらった時、学校での模試が終わり友達の家に遊びに行っていました。
携帯に電話がありましたが、当然、事故の事など知る由もなく、聞こえてくる言葉は冗談にしか思えず、軽く流してたのですが、様子がおかしいので確認すると、急に電話の向こうから聞こえた信じられない一言、「掛橋4階から落ちた」に私は全く理解出来ず只々黙って話を聞いていました。
次の瞬間、「さっき病院に運ばれたけど心肺停止で…」。全身が震え、心臓が破れるくらい自分がボロボロになりそうでした。
"……心肺停止"思いもよらない言葉に私は頭の中が真っ白になりました。
でも"生きている"と信じる事しか考えたくなかったので、彼が運ばれた病院を聞くと、私も何度か行った事のある中央市民病院でした。
翌日訪れた病院で待っていた現実は私の想像を遥かに超え、ただ突っ立っている私に彼の御家族が「義は今すごく頑張っている」と話してくれ、我に戻り、自分にできる事を精一杯しようと思い、1日も早く彼の意識が戻る事を祈りました。
彼の意識が無くなり、私は頭では彼が元気になった時のためにやるべき事が沢山あると分かっているにも関わらず、初めて味わう不安感から気持ちが追いつかず、自分が砕けそうでした。
ただそんな時、家族や沢山の友達が彼の意識が早く戻る様に一緒に祈ってくれ、励まされ支えられました。
彼の母上様からほぼ毎日連絡を頂き、その連絡が私を安心させてくれました。
そして彼の御家族も友達も皆で奇跡を信じ待っていました。
私は彼の意識が無くなってから毎日、彼の携帯にメールを送り、今までの思い出を全部ノートにまとめ、必ず彼の命は救われると信じ、彼が帰ってくる準備をしていました。
いつか必ず読んでもらえると信じて…。