腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
けたたましいお母さんの声とドアを叩く音、インターフォンの連続音が鳴り響く。
スマホで時間を確認すればまだ10時前で、画面は実家からの着信履歴で埋まっている。声は玄関の外から直接聞こえていた。

お母さん、アパートに来てるの?
どんなに慌ただしい時でも澄まし顔を崩さないのに、ご近所に聞こえるような声を張り上げてドアを叩いているなんて。
「ちょっと、お母さん。玄関前で騒がないでよ」
ドアを開けるとお母さんは付け下げに身を包み、一筋の乱れなくきちっと髪を結い上げていた。お店に出るときよりもさらに格式の高い装いでビシッと決めている。
「何度電話してもあんたが起きへんからや」
驚いて固まる私に、お母さんは眉を顰めた。
「そう言われても……」
「いいから、早よ入れて」
文句を言いながらも、お母さんは優雅に私の部屋に入ってくる。

「で、なんで付け下げ?」
「聞きたいのはこっちや」
お母さんが私の目の前に週刊誌をバサッと広げる。
「これは何!?」
『松川左右之助、熱愛発覚。お相手は京都市内のO L、A子さん』
「はあ!?」
見出しの文字を見て、思わず週刊誌を手に取った。掲載されていた数枚の写真は、明らかにホテルにお泊まりした朝のものだ。ロビーでチェックアウトした時、ホテルの玄関前で別れた時の写真がバッチリと!私の顔には目線が入っているけど、左右之助さんの私に向けた笑顔がはっきりと写っている。

「あんた店に来た夜、若旦那と泊まったの?」
「酔っ払って、タクシーで寝ちゃって……」
「泊まったんやね!?」
「……はい」
鬼の形相でお母さんに詰られて、どうして誤魔化すことができるだろう。事実だと分かった途端、お母さんが深いため息を一つ吐き出した。
「シャワー浴びてきなさい。そんで、これに着替えて」
「へ?」
有無を言わさず、大きな風呂敷を押し付けてくる。

結び目を解くと、無地の蒸栗色(むしぐりいろ)の訪問着が入っていた。柔らかい黄色は正に蒸した栗の実のような上品な色だ。
「なんで訪問着?」
「説明は後や。下に迎えがくることになっとるんやから。髪もやらなあかんし」
「迎え?」
「日向子、早う」
「話が全然見えないんだけど」
「次のページ見たらええわ」
『松川左右之助のお相手、A子さんは志村桜左衛門(しむらしざえもん)の隠し子か』
見開きをめくると、信じられない文字が再び踊っている。

「え……」
「つまり、そういうことや」
「そういうことって」
志村桜左衛門といえば、人間国宝も間近と言われた柏屋の名俳優じゃない?何年も前に亡くなっているはずだけど。

「どういうこと?」
「お母さん、昔、桜左衛門と恋仲だったんや」
「……冗談はやめてよ」
「こない不謹慎な冗談、よう言われへん」
「結婚できなかったお父さんが、桜左衛門ってこと……?」
お母さんが無言で頷く。

「ええええええ」
「……驚くのは分かるけど、とっくり驚くのは後にしてくれへん」
「いや、後にしてって言われても、え、そ、なんで……え、ええ?」

お母さんが若干バツが悪そうな顔になる。
「私だって、こないな形で言いたくはなかったけどな。あんたの熱愛とお父さんのことが同時にすっぱ抜かれるなんて、夢にも思わなかったわ」
「それはこっちのセリフだよ」
こんな形でお父さんのことを聞くことになるなんて。
混乱する頭で、なぜか一つだけすぐに頭の中に湧き上がった疑問があった。桜左衛門って何歳よ?
私が生まれた時、少なくとも五十歳は超えてたはず。
「お母さん、ジジ専?」
無言で帯板を取ると、お母さんが思いっきり私の頭を叩いた。
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