腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
4.契約結婚の真実
午前中の短い時間の中で持ってきた僅かな荷物と一緒に、左右之助さんの車に乗り込んだ。気持ちを落ち着けたくてお父さんのお財布を握りしめているうちに、ふと思いついたことがあった。
お父さんの肩身の財布には、桜餅の焼印が入っている。シャレの効いた桜餅の印が桜左衛門のものだというのは、きっと歌舞伎界では周知の事実だったに違いない。だとしたらこのお財布を見れば、私が桜左衛門に縁の人物だというのは類推がついたんじゃないだろうか?
左右之助さんは、それが目的で私に近づいた?
助手席の左右之助さんをあえて見ないようにしていると、窓の外に流れる風景は下鴨だった。京都の人なら知る人ぞ知る指折りの高級住宅街だ。決して便利な場所ではないけれど、鴨川沿いに立派な一軒家がずらりと並んでいる。
マンションはあっても、建物の高さ制限のせいで上品な低層マンションばかり。きっと私たち庶民には縁のない高級物件だろう。鴨川沿いを走ってしばらくすると、大きな日本家屋が見えてきた。
黒い瓦屋根の数寄屋造りの門構に、木製の細かい格子が吉祥の模様に組まれている。格子一つとっても、熟練の職人が技術を尽くしたことが一目で分かる。隙間からは、どこまで続くのか分からない広大な敷地が見えた。裏手は鬱蒼とした山で、東側は竹林で囲まれている。
手入れの行き届いた日本庭園の大きな池には錦鯉が泳いで、小さな橋までかけられていた。里山に建てられた平安貴族の別邸という趣だ。
左右七さんがリモコンを手にすると、大きなカーポートのシャッターが緩やかに上がっていく。全体は伝統的な作りなのに、設備は最新式みたいだ。
「何、ここ」
何もかもがすごすぎて呆気に取られていると、左右之助さんが助手席のドアを開けてくれた。
「御苑屋が南座で興行する際などに使う別邸です」
「あ、ありがとうございます」
「七さん(しちさん)、荷物をよろしく」
「かしこまりました、若旦那」
左右七さんに車を任せ、玄関をくぐるとすぐにパタパタと軽やかな足音が近づいてきた。
「まあまあ、お帰りなさいませ」
「八重さん、ただいま」
お母さんと同い年くらいの女性が、満面の笑みで私たちを出迎えてくれる。
「日向子さん、住み込みで家政婦をしていただいている八重子さんです」
「よろしくお願い致します」
「こちらこそ」
「僕にとって、七さんは兄のような、八重さんは母のような人です」
「どうぞなんでも分からないことは聞いてくださいね」
「助かります」
八重さんがそれこそお母さんのような笑顔を私に向けた。
両親と早くに死別しているという左右之助さんにとって、おじいさんの左右十郎を除けば家族と呼べるのはこの方達だけなのかもしれない。
「まずは家のご案内と荷解きかしら?」
「そうですね」
「では、一段落したら出てきてくださいね。お茶の用意をしておきますから」
「お願いします」
八重さんが行ってしまうと、左右之助さんが気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。
お父さんの肩身の財布には、桜餅の焼印が入っている。シャレの効いた桜餅の印が桜左衛門のものだというのは、きっと歌舞伎界では周知の事実だったに違いない。だとしたらこのお財布を見れば、私が桜左衛門に縁の人物だというのは類推がついたんじゃないだろうか?
左右之助さんは、それが目的で私に近づいた?
助手席の左右之助さんをあえて見ないようにしていると、窓の外に流れる風景は下鴨だった。京都の人なら知る人ぞ知る指折りの高級住宅街だ。決して便利な場所ではないけれど、鴨川沿いに立派な一軒家がずらりと並んでいる。
マンションはあっても、建物の高さ制限のせいで上品な低層マンションばかり。きっと私たち庶民には縁のない高級物件だろう。鴨川沿いを走ってしばらくすると、大きな日本家屋が見えてきた。
黒い瓦屋根の数寄屋造りの門構に、木製の細かい格子が吉祥の模様に組まれている。格子一つとっても、熟練の職人が技術を尽くしたことが一目で分かる。隙間からは、どこまで続くのか分からない広大な敷地が見えた。裏手は鬱蒼とした山で、東側は竹林で囲まれている。
手入れの行き届いた日本庭園の大きな池には錦鯉が泳いで、小さな橋までかけられていた。里山に建てられた平安貴族の別邸という趣だ。
左右七さんがリモコンを手にすると、大きなカーポートのシャッターが緩やかに上がっていく。全体は伝統的な作りなのに、設備は最新式みたいだ。
「何、ここ」
何もかもがすごすぎて呆気に取られていると、左右之助さんが助手席のドアを開けてくれた。
「御苑屋が南座で興行する際などに使う別邸です」
「あ、ありがとうございます」
「七さん(しちさん)、荷物をよろしく」
「かしこまりました、若旦那」
左右七さんに車を任せ、玄関をくぐるとすぐにパタパタと軽やかな足音が近づいてきた。
「まあまあ、お帰りなさいませ」
「八重さん、ただいま」
お母さんと同い年くらいの女性が、満面の笑みで私たちを出迎えてくれる。
「日向子さん、住み込みで家政婦をしていただいている八重子さんです」
「よろしくお願い致します」
「こちらこそ」
「僕にとって、七さんは兄のような、八重さんは母のような人です」
「どうぞなんでも分からないことは聞いてくださいね」
「助かります」
八重さんがそれこそお母さんのような笑顔を私に向けた。
両親と早くに死別しているという左右之助さんにとって、おじいさんの左右十郎を除けば家族と呼べるのはこの方達だけなのかもしれない。
「まずは家のご案内と荷解きかしら?」
「そうですね」
「では、一段落したら出てきてくださいね。お茶の用意をしておきますから」
「お願いします」
八重さんが行ってしまうと、左右之助さんが気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。