腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
桜枝さんの千鳥が綺麗なだけで物足りなかったっていうのは、私も正直に言えば左右之助さんと同意見だった。御曹司ならそれに相応しい研鑽を積んだ千鳥であるべきだと思うけど、私にはそうは思えない。
「嫌味のつもりではなかったんですが……日向子さんへの態度に腹が据えかねまして」
全然腹に据えかねた様子はなさそうな、涼しげな表情でそんなことを言う。

「歌舞伎のことで嘘やおべんちゃらは言いたくないし、せめて悪口にならないように考えてるうちに、出てきた言葉がそれしかなかったんです」
「分かりますよ。玄兎さんは直截にものを言うこともありますけど、わざわざ誰かを傷つけるような人ではないと思うので」
「そう、ですか?」
心臓が音を立てて跳ねる。

あまりにも優しく笑いかけるから、トクンと鼓動が鳴ったのがハッキリと聞こえた気がした。

「何気なく言われたからこそ、桜枝さんは痛いところをつかれたのかも」
「最近テレビにもよく出るようになって、調子に乗ってるって周囲が困ってるみたいですからね」
ドキドキしているのは私だけのようで、玄兎さんはただいつも通り寝入りばなの会話に時々頷いている。こんな感じでいつの間にか眠ってしまうのが常だけど……これでいいんだろうか?

妻なら夫の欲求に応えるべきだろうし、まして私たちは普通の結婚じゃない。玄兎さんは梨園の御曹司で、跡取りを残すことも役目のひとつなはず。

私が彼と結婚する覚悟の中にはそのことも入っているのだけれど、初めてがあんなシチュエーションだっただけに、つい身構えてしまう。そんな私に気づいているのか、玄兎さんは強いてそれ以上先に進もうとはしない。
「夫婦として……いろいろ慣れなくちゃいけないですよね」
水を向けてみると玄兎さんが悪戯っぽく、私を試すように笑う。
「いろいろ?」

こういうときの玄兎さんは、ムダに色っぽくてドキドキしてしまう。何せ結婚前からかなりの年月、彼のことが役者として好きだったんだもん。容姿や立ち居振る舞いも含めて何もかも。こんなに間近で放たれる艶は心臓に悪すぎる。
「私は……結婚したからには、ちゃんと夫婦になりたいと言ったことに変わりはありません」
「それなら、まずは名前を呼ぶところから始めた方がいいんじゃないですか」
言葉と同時に手を握られる。私よりもずっと大きくて熱い手だ。その温もりと感触に鼓動が速くなっていく。
「玄兎さん?」
「そう」
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