腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
今週末は合同稽古がないとは以前から聞いていたけれど──
「興行の着物を誂えに行きませんか」
突然そんなことを左右之助さんが言い出したのは、数日後の金曜日の夜のことだった。
「……私のですか?」
「他に誰がいるんです」
久々のオフにのんびりするのかと思っていたのに、まさか、私の買い物に誘われるとは思わなかった。
「新しいのは要りませんよ、お母さんからいっぱいもらってまだ袖も通してないし」
「初の両家の興行ですし、貴女のお披露目でもあります」
「そういう無駄遣いは好きじゃないです」

何度か押し問答を繰り広げていると、七さんが背後で耳打ちしてくる。
「日向子さん、せっかくですからお受け取りになったらいかがですか」
八重さんと七さんには、奥様という呼び方はやめてもらっている。時々は家での食事も一緒に取るし、本当に家族同然の付き合いだ。
「あるものは余計に要りませんよ」
「ですから〜、坊っちゃんは日向子さんに何かプレゼントしたいんですよう」
「え……」
左右之助さんの目の縁がほんのりと赤くなっている。
「たまには私にも楽させてくださいな。お外でお食事でもしてらっしゃいませ」
八重さんまでことのほか嬉しそうに囃し立てる。
「そうそう。つまり、いわゆるデート」
「デート……」
七さんの言葉がダメ押しになる。

「桜枝にどんなデートをしているのかと聞かれたそうじゃないですか」
左右之助さんが少しモゴモゴと口の中でつぶやいた。
「ちゃんとしておいた方がいいでしょう?」
つまり、実質的にはこれが初デートってこと……
「そうですね……」
照れくさそうな左右之助さんに、こちらまで赤面してしまう。
「えーっと、じゃあ、着物は要りませんけど小物くらいなら」
「まだ言いますか」
左右之助さんが苦笑を浮かべる。
「分かりましたから、出かける支度をしてらっしゃい」

それから自分の部屋に戻って悩みながら選んだ服は一応、とっておきのものだ。今度、もし比叡山の薪歌舞伎のように左右之助さんのプレミアチケットが手に入ったら着ていくつもりで買ったお花のモチーフレースのワンピース。落ち着いた淡いパープルは今年人気のくすみカラーというらしい。オタ活ではなく、まさかデートで着ていくことになるとは夢にも思わなかったけど。
駐車場に行くと、助手席のドアを開けてくれたのは左右之助さんだった。
< 54 / 69 >

この作品をシェア

pagetop