きみと見た空の色
「先生、なんて?」
学校を出て少し歩いたところで、なんとか話を続かせようと必死だったわたしは白ちゃんのほうに目を向けた。空には赤々とした夕日が西の空に傾いていた。美しい。
「ああ、進路のことだよ」
「あ、そうか。来年から受験生だもんね」
すっかり忘れていた。
「白ちゃん、やっぱり芸大が志望なの?」
考えたくなかった現実が、どんどん迫ってきている。ため息が出る。
「まだわからない。でも、原田先生が困ってたのはたしかだ」
「原田先生が?どうして白ちゃんのことで?」
原田先生はうちのクラスの担任だし、わざわざとなりのクラスの白ちゃんを…
「って、ま、まさか…」
「そう。校内トップクラスの成績の持ち主の志望校がまさかの『白ちゃんと同じところ!』と驚くほどバカなことが書かれていたらしい」
「げ…」
あ、あれは夢が面白がって書いたものだ。
しかも、先生に出したつもりなんてなかったのに。
白ちゃんの呆れ顔にがっくりする。
わたしには先のことなんてわからない。
今、この瞬間だけで十分。未来はそれ相応についてくる。そう思ってる。だから進路希望書もそんなに深く考えずに出した。それだけだ。(まさか冗談で書いた方を出しちゃったなんて予想外だったけど)
とはいえ、わたしがどれだけ勉強したところで美術の成績が上がるはずもなく、白ちゃんと同じ進路はありえなさそうだということはたしかだ。
「桃倉は将来が有望だと思う。だからもっと、自分に高望みするべきだと俺は思う」
意外なセリフだった。
「もっと自分の可能性の広さをしっかり見極めて」
「白ちゃん、わたしの成績、知ってるの?」
まぁ、さっき原田先生からいろいろ言われたのかもしれないけど、こんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。
わたしのことなんて、興味ないどころか、どうでもいいんだとばかり思ってた。
「そりゃ、なぁ。試験結果発表のときだってけっこう騒がれてるし」
心の中で盛大なガッツポーズが決まった。
わたしのことをまったくといっていいほど興味を示さない彼でも試験結果くらい目を通すわよね、とどれほどムダだと思いながらも努力して自分の存在をアピールし続けてきたことか。ついに長年の想いが届いた気がした。
「だから、もっと真剣に先を考えた方がいい」
しかし、白ちゃんはまた同じことをくりかえした。
「そ、それは、努力すれば今からでも芸大への道は厳しくないってこと?」
「い、いや、だから…」
真剣な声でそう言われたのにあえてとぼけてしまったわたしは、驚いた表情のあと、一瞬で光を失った白ちゃんの瞳から跡形もなく姿を消したことだろう。その様子がわからなかったのは、珍しくわたしの方から目を逸らしてしまったから。
なぜか、これ以上聞きたくなかった。
それでも白ちゃんは続けた。
「俺は関係ないんだよ。俺なんかのことで左右されてこれからの人生のことを考えないでほしい。他の誰にもない可能性を桃倉は持ってると思うんだ。未来を動かす力だって、桃倉にはあるかもしれない」
「白ちゃんの心を動かす力の方が欲しい」
「…ったく」
白ちゃんの声が明らかに疲れはてて聞こえ、冗談でもいいから同意しておけばよかったと自分に自己嫌悪した。
「わたし、先のことなんて、よくわからない」
白ちゃんがわたしを好きになってくれない理由は、きっと自分を持っていないところなんだろうな、と頭の片隅で思う。
「だから、今したいってことばかり優先しちゃって…」
ぐらぐら、ぐらぐら。
ほら、今日もドツボにはまった。
桃倉、という優しい声に顔を上げる。
どうしたことか、白ちゃんの瞳にわたしが映っていた。
こんなこと、今まであっただろうか。
とくんとくん、と感じたこともない鼓動が全身を揺らす。
逸らせない瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「たとえば」
「え?」
そんな沈黙も、あっという間に白ちゃんの一言で現実に引き戻される。
「桃倉は物語を作るのが得意だから、大学では文学部の道に進むとか」
なぜか今日の白ちゃんはいつも以上にわたしの話をしている。
「物語?って、そんなの書いたことないよ?」
作文だって、夏休みの宿題くらいだし。
「ほら、いつも俺の絵をみていろんな物語を考えて楽しそうに語ってるだろ。あれも一種の特技だと思うけど?」
ああ、あれは唯一、常にキャンパスから視線を外さない白ちゃんが興味を持ってこっちを向いてくれるからついついくせになって作っているだけで…って、そんなこと言えやなしないけど。
「でも、あれは白ちゃんの絵のタイトルに合わせてるだけであって、わたしが一から考えたわけじゃ…」
黄色く描かれていたら、希望の光。
一面緑色で埋まっていたら、壮大な大地。
青色で彩られていたら、白熱した常夏の海。
わたしはあまり絵には詳しくない。だけどいつもタイトルによって白ちゃんの描く絵は美しくキラキラ輝き続けている。だから簡単に物語が浮かんでくるのだ。ちょっとタイトルから想像すればいいだけのこと。今日見た赤色が重視な絵だってそうだった。
「どんな残酷な絵を描いても、桃倉はいつも笑顔で命ある美しい物語に変えてくれる」
「ざ、残酷な絵も描いてたの?」
あー、とうめき声をあげてしまいそうになる。
「わ、わたし、いつも知ったかしてたけど、結局白ちゃんの絵の意味、これっぽっちも理解してなかったのね?」
なんで答えを教えてくれなかったのよ、と泣き言をとなえてがっくりした。
言葉通り、穴があったら入りたくなったくらいだ。
「いや、凄いことだと思うよ。桃倉には、何か明るい希望を感じられるから」
「え・・・」
「だから、少しでも多くの人が桃倉みたいだったらなって思う」
白ちゃんの口元が、珍しく緩んだ気がした。
わたしだけの知る、たまに見せる白ちゃんのこの表情にまたときめいてしまう。
ほ、本当に、重症だわ、もう。
「さ、着いた」
白ちゃんがニシャっと笑った。
めずらしく年相応な表情だ。
それも、わたしの家の前で。
「なっ!」
話に夢中になっていてすっかりなにも考えずに足を進めていた。あれやこれやと計画して胸を弾ませてたというのにどこにも寄ることもなく、あっという間に我が家に連れてこられた。それでやけに今日はご褒美の笑顔が多かったわけだ。
「悪いけど、本当に今日は用事があるんだ」
見るからに急いでいる様子の白ちゃんは、間違いなく迷惑だっただろうのに申し訳なさそうに頭をさげた。
(ああもう、わたしったら)
どれだけ毎日頑張っていても、こんなふとした瞬間に後悔してしまう自分が嫌だ。
「ご、ごめんね。また付き合わせて」
白ちゃんが断れないのを知っているからいつも勝手に話を進めてしまう。悪いくせだ。
「桃倉」
白ちゃんの真剣な瞳がわたしを捉え、驚く。
「志木先生には近づかない方がいい」
「え、どうして…?」
ぽかんとしてしまう。
それ以上は語りたくないのか、わたしに背を向ける白ちゃんに思わず声を荒げてしまう。
「せ、先生、いい人じゃない」
白ちゃんとだってよく親しげに話してるし…だから思う。
「白ちゃんが近づいて欲しくないの?白ちゃんと先生は親しいから…」
言ってしまって、やっぱりまた後悔した。
なにも語らず遠ざかっていく白ちゃんの背中を見ていたら、なんだかとても寂しくなった。
以前もこんな風にバカげた嫉妬をしてしまったっけ。白ちゃんはよくモテるから。その度にこんな風に。
毎日を充実して生きている(つもりの)わたし。
でもそんなわたしも、タイムマシンに乗ってみたいと思うことはある。白ちゃんの過去に行って、もっと前から出会いたかった。
一度、思わずその言葉をぶつけてしまったとき、そんなことありえないと白ちゃんはドン引きしていた。わたしだって、本当にどうかしてるって自分でも思う。
「す、好きだから嫉妬しても仕方ないんだよーっ!」
だから、もうあまり深く考えず、わたしは家の中に入った。いつものように。
追いかけてでももっと詳しく聞いておけばよかったのに。
わたしは、あえてこれ以上ふみこまない選択肢を選んでいた。
なにがあっても後悔だけはしないと、そうずっと思っていたのに。
学校を出て少し歩いたところで、なんとか話を続かせようと必死だったわたしは白ちゃんのほうに目を向けた。空には赤々とした夕日が西の空に傾いていた。美しい。
「ああ、進路のことだよ」
「あ、そうか。来年から受験生だもんね」
すっかり忘れていた。
「白ちゃん、やっぱり芸大が志望なの?」
考えたくなかった現実が、どんどん迫ってきている。ため息が出る。
「まだわからない。でも、原田先生が困ってたのはたしかだ」
「原田先生が?どうして白ちゃんのことで?」
原田先生はうちのクラスの担任だし、わざわざとなりのクラスの白ちゃんを…
「って、ま、まさか…」
「そう。校内トップクラスの成績の持ち主の志望校がまさかの『白ちゃんと同じところ!』と驚くほどバカなことが書かれていたらしい」
「げ…」
あ、あれは夢が面白がって書いたものだ。
しかも、先生に出したつもりなんてなかったのに。
白ちゃんの呆れ顔にがっくりする。
わたしには先のことなんてわからない。
今、この瞬間だけで十分。未来はそれ相応についてくる。そう思ってる。だから進路希望書もそんなに深く考えずに出した。それだけだ。(まさか冗談で書いた方を出しちゃったなんて予想外だったけど)
とはいえ、わたしがどれだけ勉強したところで美術の成績が上がるはずもなく、白ちゃんと同じ進路はありえなさそうだということはたしかだ。
「桃倉は将来が有望だと思う。だからもっと、自分に高望みするべきだと俺は思う」
意外なセリフだった。
「もっと自分の可能性の広さをしっかり見極めて」
「白ちゃん、わたしの成績、知ってるの?」
まぁ、さっき原田先生からいろいろ言われたのかもしれないけど、こんなふうに言ってもらえるとは思っていなかった。
わたしのことなんて、興味ないどころか、どうでもいいんだとばかり思ってた。
「そりゃ、なぁ。試験結果発表のときだってけっこう騒がれてるし」
心の中で盛大なガッツポーズが決まった。
わたしのことをまったくといっていいほど興味を示さない彼でも試験結果くらい目を通すわよね、とどれほどムダだと思いながらも努力して自分の存在をアピールし続けてきたことか。ついに長年の想いが届いた気がした。
「だから、もっと真剣に先を考えた方がいい」
しかし、白ちゃんはまた同じことをくりかえした。
「そ、それは、努力すれば今からでも芸大への道は厳しくないってこと?」
「い、いや、だから…」
真剣な声でそう言われたのにあえてとぼけてしまったわたしは、驚いた表情のあと、一瞬で光を失った白ちゃんの瞳から跡形もなく姿を消したことだろう。その様子がわからなかったのは、珍しくわたしの方から目を逸らしてしまったから。
なぜか、これ以上聞きたくなかった。
それでも白ちゃんは続けた。
「俺は関係ないんだよ。俺なんかのことで左右されてこれからの人生のことを考えないでほしい。他の誰にもない可能性を桃倉は持ってると思うんだ。未来を動かす力だって、桃倉にはあるかもしれない」
「白ちゃんの心を動かす力の方が欲しい」
「…ったく」
白ちゃんの声が明らかに疲れはてて聞こえ、冗談でもいいから同意しておけばよかったと自分に自己嫌悪した。
「わたし、先のことなんて、よくわからない」
白ちゃんがわたしを好きになってくれない理由は、きっと自分を持っていないところなんだろうな、と頭の片隅で思う。
「だから、今したいってことばかり優先しちゃって…」
ぐらぐら、ぐらぐら。
ほら、今日もドツボにはまった。
桃倉、という優しい声に顔を上げる。
どうしたことか、白ちゃんの瞳にわたしが映っていた。
こんなこと、今まであっただろうか。
とくんとくん、と感じたこともない鼓動が全身を揺らす。
逸らせない瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「たとえば」
「え?」
そんな沈黙も、あっという間に白ちゃんの一言で現実に引き戻される。
「桃倉は物語を作るのが得意だから、大学では文学部の道に進むとか」
なぜか今日の白ちゃんはいつも以上にわたしの話をしている。
「物語?って、そんなの書いたことないよ?」
作文だって、夏休みの宿題くらいだし。
「ほら、いつも俺の絵をみていろんな物語を考えて楽しそうに語ってるだろ。あれも一種の特技だと思うけど?」
ああ、あれは唯一、常にキャンパスから視線を外さない白ちゃんが興味を持ってこっちを向いてくれるからついついくせになって作っているだけで…って、そんなこと言えやなしないけど。
「でも、あれは白ちゃんの絵のタイトルに合わせてるだけであって、わたしが一から考えたわけじゃ…」
黄色く描かれていたら、希望の光。
一面緑色で埋まっていたら、壮大な大地。
青色で彩られていたら、白熱した常夏の海。
わたしはあまり絵には詳しくない。だけどいつもタイトルによって白ちゃんの描く絵は美しくキラキラ輝き続けている。だから簡単に物語が浮かんでくるのだ。ちょっとタイトルから想像すればいいだけのこと。今日見た赤色が重視な絵だってそうだった。
「どんな残酷な絵を描いても、桃倉はいつも笑顔で命ある美しい物語に変えてくれる」
「ざ、残酷な絵も描いてたの?」
あー、とうめき声をあげてしまいそうになる。
「わ、わたし、いつも知ったかしてたけど、結局白ちゃんの絵の意味、これっぽっちも理解してなかったのね?」
なんで答えを教えてくれなかったのよ、と泣き言をとなえてがっくりした。
言葉通り、穴があったら入りたくなったくらいだ。
「いや、凄いことだと思うよ。桃倉には、何か明るい希望を感じられるから」
「え・・・」
「だから、少しでも多くの人が桃倉みたいだったらなって思う」
白ちゃんの口元が、珍しく緩んだ気がした。
わたしだけの知る、たまに見せる白ちゃんのこの表情にまたときめいてしまう。
ほ、本当に、重症だわ、もう。
「さ、着いた」
白ちゃんがニシャっと笑った。
めずらしく年相応な表情だ。
それも、わたしの家の前で。
「なっ!」
話に夢中になっていてすっかりなにも考えずに足を進めていた。あれやこれやと計画して胸を弾ませてたというのにどこにも寄ることもなく、あっという間に我が家に連れてこられた。それでやけに今日はご褒美の笑顔が多かったわけだ。
「悪いけど、本当に今日は用事があるんだ」
見るからに急いでいる様子の白ちゃんは、間違いなく迷惑だっただろうのに申し訳なさそうに頭をさげた。
(ああもう、わたしったら)
どれだけ毎日頑張っていても、こんなふとした瞬間に後悔してしまう自分が嫌だ。
「ご、ごめんね。また付き合わせて」
白ちゃんが断れないのを知っているからいつも勝手に話を進めてしまう。悪いくせだ。
「桃倉」
白ちゃんの真剣な瞳がわたしを捉え、驚く。
「志木先生には近づかない方がいい」
「え、どうして…?」
ぽかんとしてしまう。
それ以上は語りたくないのか、わたしに背を向ける白ちゃんに思わず声を荒げてしまう。
「せ、先生、いい人じゃない」
白ちゃんとだってよく親しげに話してるし…だから思う。
「白ちゃんが近づいて欲しくないの?白ちゃんと先生は親しいから…」
言ってしまって、やっぱりまた後悔した。
なにも語らず遠ざかっていく白ちゃんの背中を見ていたら、なんだかとても寂しくなった。
以前もこんな風にバカげた嫉妬をしてしまったっけ。白ちゃんはよくモテるから。その度にこんな風に。
毎日を充実して生きている(つもりの)わたし。
でもそんなわたしも、タイムマシンに乗ってみたいと思うことはある。白ちゃんの過去に行って、もっと前から出会いたかった。
一度、思わずその言葉をぶつけてしまったとき、そんなことありえないと白ちゃんはドン引きしていた。わたしだって、本当にどうかしてるって自分でも思う。
「す、好きだから嫉妬しても仕方ないんだよーっ!」
だから、もうあまり深く考えず、わたしは家の中に入った。いつものように。
追いかけてでももっと詳しく聞いておけばよかったのに。
わたしは、あえてこれ以上ふみこまない選択肢を選んでいた。
なにがあっても後悔だけはしないと、そうずっと思っていたのに。