僕惚れ④『でもね、嫌なの。わかってよ。』
「ほら、お友達のところ。午前中に行くって連絡したんでしょう? 早くしないと午後になっちゃうよ?」

 葵咲(きさき)ちゃんにつられて見上げた時計はまだ9時半にもなっていなくて――。
 そんなに急がなくてもって思ってから、葵咲ちゃんが()()()()()()そんなことを言ったのかに思い至る。

 僕は、あまりに分かりにくい恋人からのサインに、口の端に浮かべた笑みを深くした。

「葵咲、おいで?」

 一度は僕から遠ざかった葵咲ちゃんに向けて腕を広げてニッコリ笑って見せると、彼女は駄々っ子を見つめるみたいに僕を見るんだ。

 誘ってきたのはキミなのに、まるで僕が仕掛けたみたいだね。

 マンマと彼女の策略に乗っかったふりをして、僕は葵咲ちゃんを抱きしめる。

 葵咲ちゃんが言ったように、ゆっくり愛し合う時間はない、かな?
 せっかく綺麗に束ねたポニーテールだって、絶対に崩れてしまうだろうし、それをもう一度結び直したりする時間も取らないといけないからね。

 何よりシャワーだって浴びないと。

 僕の腕の中に収まる葵咲ちゃんの身体のあちこちに、ひとつずつ熱を灯していきながら、僕はそんなことを考える。

 真咲(まさき)のところには正午までに行ければセーフ、だよね?
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