名無しのヒーロー ~シングルマザーは先生に溺愛されました~
 夜の帳が落ち気温が下がり始めた。時折、強く吹く冷たい風が嘲笑うかのように頬を撫でていく。街のクリスマスイルミネーションは煌めき、世の中の人がすべて幸せであるかのように演出している。

 幸せな人ばかりじゃないのに……。
 吐く息が白く、夜空に溶けていく。

 そんな中、フラフラと歩道からガードレールの隙間を縫い車道へと足を踏み出す女性を見つけ、思わず手を伸ばした。

「危ない! 大丈夫ですか?」

 掴んだ腕は細く、苦しそうに肩で息をしている。俯いた彼女から小さな声が聞こえる。

「すみません。病院に行きたいので、タクシーを拾いたくて」

 ボストンバッグを持っているのも辛そうにしている。つい、放って置けなくなり、彼女を支えたまま、空いている方の手を挙げた。

「代わりにタクシーを拾いますよ」

 支えた手に彼女の体温が伝ってくる。
 このままタクシーに乗って、その後一人で大丈夫なのだろうか?
 ふと、そんな考えが過る。

 ここで別れたら心配で後悔しそうな気がして、無理矢理一緒にタクシーに乗り込んだ。
 見ず知らずのの女性に対してずいぶんなお節介だとは思うが、苦しそうな彼女を支えるのは今は自分しかいない。そんな思いが沸き起こる。
 
「このままだと心配だから病院で看護婦さんに引き渡すまで面倒を見るよ」

 俯いていた彼女が驚きの表情で一瞬、顔を上げた。化粧っ気の無い、素顔の彼女の黒目がちな瞳が痛みのせいか潤んでいる。不謹慎にも綺麗だと思ってしまった。
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