名無しのヒーロー ~シングルマザーは先生に溺愛されました~
 病院に着くと看護師さんが夜間出入り口で待機していた。これで一安心と、ストレッチャーに彼女を乗せ、ボストンバッグを手渡そうと持ち上げた。

 その瞬間、看護師さんから一言。

「はい、パパさんは荷物を持ってついて来て!」

「えっ? ああ」

 パパさんでは無いけど、確かにこんなに苦しんでいる人に荷物を渡すのは気が引ける。荷物ぐらい運んであげよう。と、ストレッチャーに乗る彼女と共に病院の中へ入った。
 分娩室に向かうために廊下を進んで行く。

 ストレッチャーの上にいる彼女が手を苦しそうに手を伸ばした。
 そんな彼女の手を握り、励ます事しかできない。

「大丈夫か? がんばれ!」

 激しい痛みを逃すようにギュッと手を握り替えしてくる。
 今は、無事に出産を終える事を祈るばかりだ。

「あー、意外と早く進んじゃったのね。あと3日は掛かると思ったのに」

 ベテランの看護師さんは慣れているのか、そんな呑気なことを言っている。
 恰幅もよく圧がある雰囲気でこの病院の産科の支配者なのかもしれない。

「うーっ。ううっっ」

「あー、まだ、いきんじゃ、ダメよ。あっ、パパは、こっちで消毒してエプロンとマスク、キャップを付けてね」

「えっ?」

 何、もしかして……? 

「ほら、産まれちゃうわよ。早くして!」

「えええっ?」

”いや、通りすがりの歩行者Aなんです”と言っても、この看護師さんは聞いてくれそうも無い。でも、本当に通りすがりの歩行者Aなんです。


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