名無しのヒーロー ~シングルマザーは先生に溺愛されました~
沸々と怒りが湧く。
彼女がいつも一人で大変な思いをしてきたことを私は知っている。
美優ちゃんが産まれる時だって、一人で苦しんでいたんだ。
コイツは、彼女が街中で苦しそうにふらふらと車道に飛び出した事も知らないはずだ。
それが、どんなに不安だったかなんて、想像も付かないのだろう。
「美優ちゃんの父親? 今さら、何を言っているんですか? 谷野さんが、一人苦しんでいる時に手も差し伸べない人が……」
コイツに父親の資格などあるものか、私の方がよっぽど……。
「今日は、これから打ち合わせがあるの。帰ってくれる?」
谷野さんの冷たい声が聞こえ、沸騰しそうな気持が抑えられた。
彼女は、コイツを拒絶している。
それなのに気にする風でもなく彼女に紙袋を押し付けながら、ヘラりと笑い話かける。
「わかった。また、来るよ。これ、好きだろう? 夏希に買ってきたんだから食べてくれよ。美優ちゃん、またね。今度、パパと遊ぼうね」
”夏希”と呼び捨てにした挙句、親し気なやり取り、二人の間に壁の無い様子が見え、チリチリと嫉妬心が湧き上がる。
「連絡する。またな」と言って帰っていく男の背中を苦々しい思いで見送った。
谷野さんのアパートの部屋に入ると明らかに緊張した彼女の様子が気になった。
今だにあの男が忘れられないのだろうか。