御曹司は天使クラス ~あなたのエールに応えたい~
 夕方になり、イラストもきりのいいところで終わらせた。パーティの時に感じたような惨めな気持になりたくなかったので、手と指についた絵の具を丁寧に洗い落とした。
 そこで、マンションのチャイムが鳴った。オートロックを解除し、玄関のドアを開けると、グレーのスーツに水色のボウタイといういでたちの敏恵が立っていた。大きな紙袋を抱えている。
「こんにちは。パーティ以来ね」
 艶然と、正統派美人が微笑むので、もう夏美は負けを感じてしまう。
「ええ。すみません、今日は無理なお願いをしてしまって」
 夏美は何とか笑顔を作りながら部屋の中へ案内する。
「無理なんてとんでもない。隆のご要望とあれば、いつでもはせ参じるわよ」
 うふふ、とトシが笑う。夏美としては、「は、はあ」とひきつるしかない。
 敏恵は自分の方がよく知ってます、と言わんばかりにさっさとキッチンへ向かう。夏美が、あ、と声を出すのをよそに冷蔵庫を真っ先に開けた。
「やっぱりね。肉がない」
「は?」
「隆はねー、気取って魚もいいね、なんて言ってたかもしれないけど、やっぱり肉が好きなの。特に私の作るブフ・ブルギニヨンが大好きなの」
「ぶ、ぶふ…?!」
 聞いたこともない料理だ。しかも私の作る、ときた。何気なくボディブローをくらってしまう。
「ワインをね。たっぷり入れるのが美味しくなるコツなの。夏美さんも作るでしょ、牛肉のワイン煮」
 いえ、私は節約料理の野菜料理専門で、とは言い出せなくて口をぱくぱくさせてしまう。
「あとは、この間隆の言ってたニース風サラダと…デザートにニューヨークチーズケーキでも作ろうかな」
「お、おいしそうですね…」
 この隙のない敵に対し、夏美はどうすれば打撃を与えられるのかわからない。
「さてさっさと取り掛かろうかな。あ、夏美さんは、お米といだら座ってていいわよ」
「は、はい…」
 思い切り仕切られてしまった。
 それからの敏恵の手際のよさは見事だった。まったく迷いのない手順で、どんどん料理を作っていく。しかも、すごく楽しそうだ。
 その楽しそう、というのが夏美に地味にキツかった。きっと自分が来る前は、こうして隆のいる時に料理を作ってあげていたんだろう。こんな美人に上機嫌で料理されて、骨抜きにされない男がいるだろうか。
 隆さんも…すごく好きだから、一緒にいたんじゃ…?
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