御曹司は天使クラス ~あなたのエールに応えたい~
 夏美は、気兼ねなく、仕事場である自分の部屋に行った。一時間くらい、仕事に打ち込んでいると、コンコン、とドアをノックする音がした。
「隆さん?」
 夏美は絵筆を持つ手を止め、立ち上がりドアを開けた。そこに隆の姿はなかった。あるのは床に置かれたトレイ。マグカップにメモが添えてある。
 『ハーブティーをいれたから寝る前に飲んで。寝つきがよくなるよ。無理しないように』
 夏美の胸の内がきゅん、となった。こんな優しい非の打ち所のない彼氏を敏恵と争わずにすんで本当によかった、と夏美は改めて思った。

「だからね、キャンプに行きたいの」
 だしぬけに敏恵が言った。敏恵は会社がシフト休ということで平日の昼間、夏美のマンションに来ていた。先日のブフ・ブルギニヨンの日から週に一度くらいの割合で、敏恵は夏美のところに来るようになっていた。敏恵は職場の同僚には恋バナはしないと決めていて、夏美のところに来ては、濱見崎への恋心をせつせつと訴えていく。
「キャンプって…アウトドアのあのキャンプですか?」
 夏美は、敏恵のいきなり発言にだいぶ慣れてきていた。
「アウトドア以外のキャンプがどこにあるの。そう。S市の郊外にいいキャンプ場があるの。そこにね、私と夏美さんと、濱見崎先生とで行きたいの」
「ええー。濱見崎先生、お忙しいから、無理ですよお」
 夏美はスケッチブックにイラストのラフスケッチを描きながら答えた。敏恵は「仕事しながらでいいから、私の話しを聞いて」と言うので、ありがたくそうさせてもらっている。
「それがね。そうでもないの」
 さっ、という素早さで、バックから雑誌を取り出した。
「これ、最近の濱見崎先生のインタビューが載ってるんだけど。ほら、ここ『キャンプを題材にした作品を書いてみたくて』って言ってるの!だから!今なら濱見崎先生、キャンプに行きたがってるから!」
「もうとっくに行かれてると思いますよ。このインタビュー先月に行われてるだろうし。第一、私みたいな下っ端が先生をお誘いなんて、無理です」
「そこをそう言わずに~ね、ほら、連絡してみよう!」
 いつの間にか夏美のスマホを手にした敏恵が言う。敏恵は、残業をせずに定時で帰ったり、隆のような弟分にはマイペースで世話をやいたり、基本的に強引に生きている。そういう行動パターンこそが敏恵の生きる道なのだ、と夏美もじょじょにわかってきていた。
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