御曹司は天使クラス ~あなたのエールに応えたい~
 どう説明したらいいだろう。敏恵と二人だけでコテージに泊まることにした、と言えばいいのか。また嘘を重ねることが、夏美の口を重くさせた。
「沢渡さん、コーヒー飲まないの?」
 ドアから半身出して、濱見崎が言った。
 …!聞こえた?!
「あのね、隆さん」
 慌てて夏美は言葉を紡ごうとする。
「夏美ちゃん。今、濱見崎先生の声がしたけど」
 隆の、声が固い。
「あの…」
 本当のことを言うしかない、と思った瞬間、ぱっとスマホを取り上げられた。濱見崎だ。
「隆か。キャンプに来たら大雨に降られちまってさあ。今晩は泊まることになったんだ。悪いな。私がいながら。でも、婚約者はきちんと明日帰すから安心しろ」
 その後、隆が何と答えたのか、夏美にはわからない。ほい、と濱見崎からスマホを返される。
「隆さん、あのね」
 隆が、黙っている気配がする。普段なら食い気味に喋ってくるのに。
「あの、これはトシさんが」
「夏美ちゃん」
 顔を見なくてもわかる。隆の声が尖っている。
「嘘、ついたんだね」
「あの、でも」
「僕、出張から帰る日が先になったから。今日、伝えたかったのはそれだけ」
「隆さん」
「じゃ」
 ぷつっ、と電話は切れてしまった。
 隆が、怒っている。これまでになかったことだった。

『日曜の夜は、少し憂鬱、そんなあなたに…』
 つけっぱなしにしているラジオからそんな声がするが、全く頭に入らない。夏美は自分の部屋で、ベッドに仰向けになってじっとしていた。
 本来なら、今はもう隆が出張から帰宅して、この一週間のあれこれをお互い話しあっているはずだった。
 その隆が、今日は帰ってこず、いつ帰ってくるかわからない。
 スマホは、通じなくなっていた。何度電話しても、『電源が入っていません』とメッセージが流れるし、ラインは既読にならない。
「はあ…」
 夏美は、寝返りをうって、枕に顔を埋める。ここ数日、ほとんど食事をしていない。食べる気になれないのだ。
隆を怒らせてしまったこと。そして、連絡がつかないこと。
この二つの事だけで、自分は全く、何もできなくなってしまうんだ、と痛感した。
イラストも締め切りには何とか間に合わせたが、それ以外は何もする気にならない。
 思えば、この八ヶ月、隆とケンカらしいケンカをした事がなかった。だから、隆が怒ったらどうなるのか、というデータがまるでないのだ。
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