冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
 通路をすり抜けて従業員用のロッカーの所へ行くと、手にしていた鞄をその中にしまった。
 このお店の制服でもある、モスグリーンのロングスカートに素早く履き替える。上は家から着てきた白いブラウスのまま。そこにシンプルなクリーム色のエプロンをつける。
 一度も染めたことのないミディアムの黒髪は、低い位置でお団子にしてきた。あとはスカートと同色の三角巾を付けたら完成だ。

「優ちゃん、今日は新しいケーキを売り出すから、お客様に説明できるように詳細を教えておくわね」

 他人と顔を合わせるのが苦手な私が接客業に就いたのには、それなりの理由がある。
 仕事だと意識していなければつい俯きがちになってしまうし、声も小さい。それでも、迷惑がらずに目をかけ続けてくれた店主夫妻には感謝しかない。

「こんなところかしら。困ったら私を呼んでくれたらいいわ。あとは……ああ、今日は水曜日だったわね。あのお方は来るのかしら」

 奥さんの言葉の裏には、間違いなく「来なくていいのに」と加えられているだろう。というか、実際に裏ではよくそう言っている。

「すみません」

 私にとって水曜日は、一週間で一番苦手な曜日だ。

「優ちゃんが謝ることなんてなにもないわ」

「でも……迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」

「もう、謝らないで。優ちゃんは笑顔がとってもかわいいんだから。ほら、笑って」

 奥さんに応えたくて、なんとか口角を上げた。
 上手く笑えているかはよくわからない。でも、そうすれば彼女が嬉しそうな顔をするから、しないという選択肢はない。

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