冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
 開店直後はぽつぽつと人が入る程度だったが、お昼時を過ぎるとティータイム目当ての客がたくさんやってくる。席に空きがないとわかると、「今日は自宅でいただこうかしら」といくつかのケーキを購入される人も複数いた。

 その波も落ち着いてくると、今度は家族に買っていくという客が多くなってくる。
 
 そのほんの合間の、若干人足が少なくなる時間帯にその人はやって来た。

「いらっしゃい、ませ」

 努めて明るい声を出したものの、入ってきた女性の顔を見た途端に動揺してしまう。

「まあ。優ったらもう何年も務めているのに、愛想笑いのひとつもできないのかしら。辛気臭い顔しちゃって」

 年齢を感じさせない美しい顔はあからさまに歪められ、吐き出す口調は苦々しいものだ。
「いやだわ」と追い払うように手をひらひらさせるその女性の姿に、俯いて唇を噛み締めた。
 幸いにも、今はほかに客がいない。私がしばらく耐えていれば、穏便に済ませられるはずだ。

 彼女の名前は三橋京子(みつはしきょうこ)。三橋製薬の社長夫人だ。
 こうして私の勤めるお店にやって来るのは、決まって水曜日の昼過ぎばかり。この近くで習い事があるとかで、そのついでにと時折寄っていくのだ。

「いいご身分ね。愛人の子でしかないあなたが、正社員として雇ってもらえるなんて」

 言い返したいとすら思わなくなったのは、もうずいぶん前だ。彼女の言葉は全て事実なのだから、私には言い返す権利なんてない。
 おまけに、今は客としてやって来ている。レジ近くに置かれていた焼き菓子をポンと渡されれば、営業妨害だと文句を言うこともはばかられる。

 受け取ったゴールドのカードを返し、袋に入れた商品を手渡した。

「ふん。まあいいわ。せいぜい頑張って、小銭でも稼ぐことね」

 彼女は最後にそう言い捨てると、外に待たせておいたタクシーに乗り込んで去っていった。
 
 悔しいなんて気持ちは、もうほとんど抱かなくなった。それでも、苦しくないわけじゃない。

 その後の仕事をなんとかこなすと、夕方遅くにお店を後にした。

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