若き海運王は初恋の花を甘く切なく手折りたい
 カナトを見て思わず口走った長谷の言葉はマレー語だったのだろう。後に知ったことだが、シンガポールには英語以外にも公用語があり、マレー語はそのうちのひとつなのだという。

「それよりはやく! もうすぐ点灯の時間だよ!」
「え、てんとう?」

 テラスを抜けた先にある梯子を子ザルのようにするするのぼっていく彼女を追いかけ、カナトは苦笑しながらつづいていく。

「よし、間に合った!」
「?」

 梯子をのぼった先にはちいさな踊り場のようなスペースがあった。申し訳程度のベンチや飛び降り禁止の柵があることから展望台のようにも見えるが、いまの時間マツリカとカナト以外、ひとの姿はどこにもない。

「ふふ、お兄さん、よく見ていてね。シンガポール海峡のタンカー・ビューは、夜がいちばんキレイだ、ってこと!」

 マツリカが海原を指さしたその瞬間、生ぬるい風とともに海の向こうに並んでいた灰色のタンカーの群れが強烈なひかりを放ちだす。
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