若き海運王は初恋の花を甘く切なく手折りたい
 海水浴するつもりなどさらさらないであろう父は冷房が効いたダイニングルームで優雅に白ワインなぞ飲んでいるが、息子が海に出たいと言うと嬉しそうに「シンガポール海峡のタンカー・ビューのライトアップを見ておいで」と部下の伊瀬とともに送り出してくれた。

 時刻は現地時間午後六時。日本との時差はちょうど一時間ほどだというから、向こうは夜の七時にあたる。スコール後のテラスは未だ雨の名残があったが、すでに水着姿の観光客がドリンク片手に集まっていた。ディナーの準備に追われているスタッフとすれ違う。夕飯前にひと泳ぎしてくるか、とカナトはそのままエントランスゲートをするりと抜ける。

 夕陽が沈む前からいたるところを青白い電飾でライトアップされているビーチクラブの建物はどこか異質な存在だ。時期が良いとこのビーチで結婚式を挙げるカップルもいるというから、きっと式場の雰囲気に合わせて神殿のような白壁の外観にしたのだろう。

 水着にラッシュガードを羽織ったカナトはその神秘的な建造物から飛び出し、ひとけの少ない砂浜へ足を踏み入れる。
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