若き海運王は初恋の花を甘く切なく手折りたい
「このあいだのクルーズだって滞りなく周航できたじゃない。あんな感じよ」
「でも、十日のクルーズができたからっていきなり七十日のクルーズに格上げされたらびっくりすると思うんですけど」
「そのぶんスタッフも大勢いるんだし、ひとりであれこれ頑張らなくてもいいって考えなさいな。せっかくリニューアル後のハゴロモに乗船できるんだもの、楽しまなくちゃ」

 ね、と微笑みかけられてマツリカも渋々頷く。これがふつうのクルーズなら問題なかっただろう。
 だが、マツリカはふれてしまったのだ。鳥海の海運王がVIPとしてハゴロモに乗船するという極秘情報に。

「……そうですね」

 ミユキには言えないマツリカの事情を知っているのは西島だけだ。ケミカルタンカー事故の遺族であるマツリカにとって、鳥海のトップと顔を合わせることは憂鬱でしかない。いまさら事故の真相をきけるとも思えないし、ライバル会社の男と再婚した娘がこんなところで働いていると知らされたところで無視されるだけだろう。それでもマツリカはこの機会を逃したくない。
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