若き海運王は初恋の花を甘く切なく手折りたい
 名乗らなかったこちらにも非はあるのだろう。だが、その場で名乗るのはまだ早いと冷静な自分が警告していた。彼女には義父の会社からつかわされたスパイという疑惑があるのだ。彼女はハゴロモのオーナーであるVIPがこのクルーズにお忍びで参加することも当然知っている。彼女の目的を暴くまでは幼い頃の恋心など封印すべきなのだ。

 ひとりぼっちのスイートルームでやけ酒をあおり、ベッドに飛び込んだカナトははぁ、とため息をつく。
 添乗員の集合時間は朝早いが、乗客であるカナトは夕方まで時間が有り余っている。実際に船内に入り視察がはじまれば伊瀬や護衛の目が厳しくなるだろう。
 伊瀬がいうには船内の客室も父親が宿泊するため事前に最上階の部屋すべてをフロアごと貸し切りにさせたのだという。お忍びと称しながらどこまでも傲慢なやり方だ。けっきょく部屋の変更は認められずカナトはその船内でいちばんおおきく豪奢な客室でひとりで過ごすことになった。必要なら人員を派遣すると西島に言われたが隣には伊瀬をはじめ、ボディガードも控えているし、あまりことをおおきくしたくないからと断った。
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