アラサー地味子@シャトーホテル/フランスでワケアリ御曹司に見初められちゃいました
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「パリ、ミュゼ・ドルセー、シルヴプレ」
「ウイ、マダム」
日本に帰る前にとりあえず私はパリへ行ってみることにした。
お母さんにもう一度会ってお礼とお詫びを言っておこうと思ったからだ。
詳しい状況も聞けるかもしれない。
タクシーの中でジャンと連絡を取ろうかと思ったけど、いざスマホを取り出すと手が止まってしまう。
何を話したらいいのか、何も思いつかない。
私なんか何の役にも立たないし、ただじゃまなだけ。
パリ市内は昨日までと何も変わりない。
なのに私たちを取り巻く状況は大きく変わっていた。
オルセー美術館の前でタクシーを止めてもらう。
黒いクレジットカードを渡したら、読み取り機械にエラーが表示された。
「ソーリー・マダム、インヴァリッド」
英語で『無効』という意味だ。
私は手持ちの現金で支払ってお母さんのアパルトマンへ急いだ。
でも、そこには報道陣が集まっていて、近づける状態ではなかった。
テレビ局のレポーターが中継をしたり、あのいかつい顔のドアマンと押し問答を繰り広げている。
一瞬、彼と目が合ったけど、かすかに首を振って合図していた。
日本人の私の顔はまだ知られていないだろうけど、一度カメラに捉えられたら追いかけられるのは時間の問題だろう。
とりあえず今は近づけない。
私はいったん橋を渡ってセーヌ川の右岸に移った。
対岸のアパルトマンの窓にはカーテンが掛かっていて中の様子は分からなかった。
どうしよう。
お母さん。
ごめんなさい。
『私のせいでこんなことになってすみません』
日本語をアプリでフランス語に翻訳してお母さんのスマホにメッセージを送ってみた。
すぐに日本語で返信が来た。
フランス語を翻訳したらしい。
『もういいのです。こうなることは分かっていました。すべて終わりでいいのです。愛を犠牲にするのはもうおしまい。それは愛の問題。それが人生』
――セラヴィ。
そんな……。
『お話しさせていただきたいのですが、アパルトマンの前に報道陣がいてお部屋まで行けません』
『イマドコニイマスカ』
『セーヌ川の反対側です』
すると、カーテンが開いて大きな紙が掲げられた。
墨と筆で書かれた漢字。
お母さん、書道も習い始めたんですか!?
『愛』
それがいったん引っ込んで次の文字が見えた。
『信』
そして三文字目。
『幸』
報道陣が気づいて窓を見上げたときにはまたカーテンが閉じていた。
『愛を信じれば幸せになれる』
でも、私は……もう。
お母さんに言われた言葉が脳裏によみがえる。
『ユリさん、ジャンを頼みますよ。愛し合って生まれた自慢の息子。あなたを選んだ賢い息子ですから』
――そうだ。
私は約束したんだ。
お母さんと約束したんだ。
『アナタハ、ジャンヲ、シンジマスカ?』
私はあのとき、『はい』と答えたんだ。
ジャンは私を選んだんだ。
私を選んでくれたんだ。
だから私にだってまだできることはある。
こんな結婚に意味なんかない。
最初から意味なんかなかったんだ。
だからこそ、まだできることがある。
大切なのは形じゃない。
形のないものに形を見つけようとした私が間違ってたんだ。
急がなくっちゃ。
ガラゴロとキャリーケースを引きずりながら私はセーヌ川の岸辺を駆け出した。
道行く人が私を怪訝そうな目で見る。
そんなの今はどうでもいい。
行かなきゃいけない場所がある。
息が苦しくたって急がなきゃ。
左胸を手で押さえながら、私はパリの街を走り続けた。