アラサー地味子@シャトーホテル/フランスでワケアリ御曹司に見初められちゃいました
 花火の光と音が静まったところでジャンのささやきが聞こえてきた。

「今日は二人の記念日だ」

 触れ合わせるグラスの音がキャンドルの明かりに紛れて揺れる。

「人生最高の日が今日だったなんて昨日までは知らなかったよ」

 それは私もだ。

「ええ、本当に」

 でも、それがただの夢だということも分かっている。

 恋人のふりも、お姫様みたいな扱いも、どちらも本当の私ではない。

 甘いお酒に口をつけても、気持ちをざらつかせる苦みが消え去ることはなかった。

 手をつけないのも失礼なので、丁寧に盛り付けられたオードブルをいただく。

 爽やかなハーブの香りがとろりとしたホタテの甘みを引き立ててお酒にも良く合う。

 すごくあからさまな色気を感じさせる味覚だ。

 ありそうでシンプルな食材のマリアージュなのにこんなの食べたことがない。

「おいしいです」

「それはなにより」と、ジャンも同じ物を口に運んでいる。

 私は遠慮なく目の前のおいしさに向き合うことにした。

 この味は夢なんかじゃない。

 人の気持ちは戯れであっても、食事のおいしさは裏切らない。

 残りの二つもペロリと平らげてしまって、ちょっとはしたなかったかと反省してしまう。

「日本でも食べ慣れている食材なのに、やっぱり違いますね。特にホタテがこんなにおいしいと思ったのは初めてです」

 私の感想にジャンも満足そうに笑みを浮かべる。

「この後のお酒はどうしようか?」

「あの、お水ではいけませんか」

 そんなに酔ってしまったわけではないけど、ブレーキもかけておきたい。

「もちろん、かまわないよ。炭酸入り?」

「いえ、炭酸なしのお水で」

「炭酸は苦手だった? 梅酒もソーダ割りじゃない方が良かったかな」

「いえ、おいしかったですよ。でも、水は炭酸なしの方が慣れてるので」

 本当は、ゲップしたら恥ずかしいからなんだけど。

 ジャンは日本人にも合いそうな軟水を選んでくれた。

 次に出されたのはアスパラガスのポタージュだった。

 真ん中がくぼんだ大きなお皿にグリーンアスパラの池、そこにホワイトアスパラのポタージュで向かい合った白鳥が描かれている。

 二羽の白鳥はハートをくちばしでつつき合っている。

 ジャンは平気な顔でスプーンを差し入れて飲んでいる。

 手をつけない私にジャンがささやく。

「どうしたの? 猫舌? そんなに熱くないよ」

「崩すのがもったいなくて」

「大丈夫」と、ジャンが微笑む。「白鳥がいなくなっても、僕らの愛はここにあるだろ」

 だから……。

 そういうことを言わないでほしい。

 どうせ演技なんだもの。

 お芝居のセリフだから、そんなこと気軽に言えるんじゃないの?

 ただの恋人ごっこなんでしょ。

< 29 / 116 >

この作品をシェア

pagetop