アラサー地味子@シャトーホテル/フランスでワケアリ御曹司に見初められちゃいました
◇
恋愛に関しても同じ。
中学から女子校育ちでカレシというのは二次元の世界のものだと思ってた。
べつに女子校は関係ないかもしれない。
カレシがいる人はいたし、出会いを求めようと積極的に行動する人もいた。
私の場合はもともと恋愛に興味がなかったし、人を好きになる気持ちすら分からなかったから、出会いなんか求めたこともなかった。
仮にこんな消極的な自分を好きになってくれる人が現れたとしても、それはそれでかえって気味が悪いなんて思ってたし。
誰もが恋愛をするのが当たり前と言われても、それは自分ではなかったし、その考えを押しつけられたところで変われるわけでもない。
自分には関係のないこと。
ただそれだけのことだと思って生きてきた。
今の職場にいるのは天下りのおじさんたちばかりだから出会いなんかない。
かえって気楽で助かる。
『推し』という言葉も便利だと思う。
「推しがいるんで」と言えば、何も困ってないのに勝手に心配されたり、余計なものを押しつけられることもない。
――一人で適当に楽しんでるんで結構です。
そんな空気を醸し出していれば干渉されずにす済む。
一人で食事をするのは、そもそも学生時代からそうだったから全然気にならないし、散歩の途中でいいなと思ったカフェに一人でふらりと入って時間を潰すのも苦にならない。
映画や展覧会にも一人で行く。
自分のペースで見たいものを見たいだけ見られるのは最高だもん。
べつにそれを誰かと分かち合いたいと思ったこともない。
SNSはただの連絡手段としてしか使っていない。
散歩や旅行が好きだからむしろ地図アプリの出番が多いくらい。
スマホの写真ホルダーには、風景の写真よりも、旅先で街歩きの参考にした観光案内看板を写したものの方が多い。
どうせ、『どこに行ったの?』とも聞かれないし、写真を見せてくれと言われたこともないし。
食べたスイーツの写真なんて一枚もない。
おいしかった記憶もあやふやだけど、べつに誰かに迷惑をかけているわけでもないんだし、そんなこと本当にどうでも良くなってくる。
まわりの人たちは『アラサーお一人様』という言葉に何かトゲの刺さったような意味を込めがちだけど、私はそうは思わない。
どうでもいいんじゃない?
口には出せないけど、心の中では堂々と言えるようになった。
ホント、どうでもいい。
どうせ、恋をしなかったことを後悔する日なんて来るはずもないんだから。
今までずっとそう思って生きてきたし、これから先もそうだとしか思えなかった。
三十になってみて、一つだけ意外だったこと。
人間、あんまり中身は変わらないんだなって。
――もうちょっと、大人になるのかなと思ってたんだけどね。