アラサー地味子@シャトーホテル/フランスでワケアリ御曹司に見初められちゃいました
「こんなのおかしいでしょ」

「どうして?」と、ジャンが私に微笑みを向けながら一枚目にサインする。「愛し合ってるし、永遠を誓い合っただろ、僕らは。それを証明するんだ。君に僕の誠意を見せるよ」

 でも、結婚なんて、私……。

「しょ、書類はどうするのよ。戸籍とか、何も取り寄せてませんけど」

 スマホの画面をチラリと見た市長さんが額に手をやって天を仰ぐ。

「アー、ドキュマン! そんなもの、どうにでもなります。それは弁護士の仕事です。後からでもかまいませんよ。市長である私の署名に勝るものはありません。愛し合うお二人の署名、そして、古来よりの伝統にのっとった証人として、私の署名。これ以上何がいりますか」

 いや、いるでしょ。

 身分証明書とかいろいろ。

 日本から取り寄せなきゃならない書類もあるんじゃないの?

 法律のことは全然分からないけど。

 ていうか、私本人の承諾がないんですけど。

 それ一番大事でしょ。

 市長さんが肩をすくめながら首を振る。

「でも、ユリさん、あなたはもうご署名なさったではありませんか。法的にも一番重要な意思表示ですよ」

 いえ、あの、婚姻届だなんて知らなかったからなんですけど。

 なのに私の抗議なんか無視して市長さんはジャンと話をしている。

「デジタル時代でも署名が一番物を言う。お役所仕事とは滑稽なものですよ。愛もまたしかり。どちらも人がなすものであるが故に」

「ヴォルテール?」と、ジャンが流れるような筆跡で三枚目にサインを終えた。

「飲み屋の酔っ払いですよ」

 そう笑いながら市長さんが私たちに一枚ずつ書類を分けてくれた。

「では、これにて婚姻は成立。控えをお手元に保管をお願いしますよ。破くことのないように。では、お幸せに!」

 市長さんが立ち上がりながら私に手を差し出す。

 私たちも席を立って握手を交わしたけど、納得いかない。

 さっき、『不幸の入口』って言ったくせに。

「昨日出会ったばかりなのにこんなのおかしいでしょう」

 私がジャンに詰め寄ると、その横で市長さんがお腹を揺らしながら部屋を出て行く。

「女は愛を日付で数える。男は深さではかる。賢い夫婦はそのどちらも気にしない」

 意味分からないんですけど。

「結婚に意味などない。あるのは後悔だけ」

 もう!

 頭に血が上ったまま取り残されて、感情の持って行き場がなくなる。

 思わず市長さんの背中に向かって舌出しちゃった。

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