極上悪魔な弁護士が溺甘パパになりました
 樹は川口のことをまだ心配している様子だったが、繭はもうかなり警戒を解いてしまっていた。まだ日も落ちていないし、土曜日だからか人の出も多い。
 繭はなにも意識することなく自宅の門をくぐる。門と玄関の間には小さな庭があり、植物の好きだった祖父がたくさんの緑を植えていた。山茶花、紫陽花、エゴノキ。手入れは大変だが、四季の移ろいを伝えてくれるこの庭を、繭も大切にしている。

 足元の低木にふと視線を落とすと、ゆらりとなにかうごめいた。それが人影だと理解したとき、繭の喉はひゅっと嫌な音を立てた。恐怖で足がすくみ、奥歯がカタカタと鳴り、声を発することができない。
 ゆらゆらと立ちあがった川口は思いつめたような暗い顔で繭を見据えて口を開いた。

「……僕は離婚までしたんだ。すべて君と一緒になるためだったのに……」

 それはあなたのひとりよがりな思い込みだ、言葉を尽くしてそれを説明したところで、きっと彼の耳には届かないだろう。あふれんばかりの憎悪を込めた低い声で彼が続ける。

「今さらほかの男と結婚してるだなんて、そんなの許されない。僕は許さないぞ」

 繭の背筋にひやりと冷たいものが走る。彼の右手で鈍く光るものの存在に気がついてしまったからだ。川口はゆったりとした動作で、手にしたナイフの切っ先を繭のほうへ向ける。川口のやけに落ち着き払った態度が、余計に繭の恐怖と絶望を煽る。

(旬太と樹くんが一緒でなくて、よかった――)
< 113 / 124 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop