極上悪魔な弁護士が溺甘パパになりました
「あぁ、やっぱり。――繭」

 ドクンと大きく胸が鳴った。聞き慣れた自分の名も、彼が呼ぶと特別に響く気がする。樹の美しい瞳が繭を見据えている。

(少しも変わってないな、顔も声も)

 樹はふっと口元を緩ませて続ける。

「あいかわらず肉じゃがのままだな」

(そ、それも覚えてたのね……)

 我に返った繭は必死に頭を巡らせる。旬太と彼を長く一緒にいさせてはまずい、それは瞬時に判断できた。ひきつった笑みで樹を見る。

「お、お久しぶりです、高坂先生。助けていただいてありがとうございました。私、とっても急ぐのでここで――」

 早口に告げて、そそくさと踵を返そうとする繭の腕を樹が引く。

「子連れってことはもう家に帰るんだろ? 車だから送るよ」
「だ、大丈夫です。電車ですぐですから!」

 うろたえる繭を見て、樹はなぜか楽しげににやりと笑んだ。

「ていうか、俺、今ので足を痛めたかも。ちょっと確認したいからとりあえず一緒に来て」
「いや、その、えっと」

 どう答えればこの状況を切り抜けられるのだろう。百戦錬磨のエリート弁護士に口でかなうとも思えず、繭の焦りは増すばかりだ。さらにタイミングの悪いことに旬太がまたぐずり出してしまった。

「ふえっ、うえ~」

 火がついたように泣き叫ぶ旬太を見て、樹は言う。

「この状態で電車は無理だろ。ほら」

 樹は自然な仕草で繭の手を取る。指先が触れ合ったその瞬間、あの夜を思い出してしまって、繭はブンブンと頭を振った。かつての記憶を追い出そうとすればするほど、なぜか鮮明に蘇ってくる。
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