極上悪魔な弁護士が溺甘パパになりました
 繭が顔をのぞき込むと、彼はにやりと狂気をはらんだ笑みを浮かべる。

「そうか、そうか。妹尾さんは照れ屋なんだね、わかったよ」

 ひとりで勝手になにかを納得した様子で、彼はうなずく。繭の背筋にぞっと冷たいものが走る。本能的な恐怖を感じ、足がすくんだ。喉がひゅっと音を立てて狭まり、うまく言葉が出ない。無言で立ち尽くす繭に「またね」と手を振って、川口はくるりと踵を返す。

(どうしよう。タロ先生に相談……でも、彼は数少ないクライアントのひとりだし)

 思考が右往左往しているところに、ふいに事務所の内側からギィと扉が開き、繭はびくりと大きく肩を震わせる。振り返ると、慎太郎が心配そうに小首をかしげていた。

「タロ先生かぁ……」

 事務所側から扉が開いたのだから当然のことだが、繭はほっとして息を吐く。

「繭ちゃん遅いから、なにかあったのかと思って」

 少し迷ったすえに、繭は「なにもないですよ」と首を横に振った。

(一度デートに誘われたってだけだもんね。不審人物だと決めつけるほどじゃないかも。もう少し様子を見よう)

 そう気持ちに整理をつけて繭は仕事に戻る。

 いつもどおり、定時の五時きっかりに繭は堂上法律事務所をあとにする。雑居ビルから通りに出るとき、ふいに視線を感じた気がして繭は弾かれたように顔をあげる。キョロキョロと注意深く周囲をうかがうが、急ぎ足のビジネスマン、学生のグループ、散歩を楽しむおじいちゃんと神保町の街はいつもどおりの様子だ。

「やだな、自意識過剰」
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